我が国の教育制度については様々な見解がありますが、広くリスペクトされています。 理論的知識を強化し、あらゆる分野の学生が自身のテーマについての理解を深め、それらがその後のキャリアパス選択に役立っています。
今日、多くの国で学校教育は義務化されています。しかし、かつて学校は宗教においての価値観やそれに伴うスキルを伝授する場所でした。
では、最初に学校を創案したのは誰でしょうか?これには様々な憶測がありますが、生徒が一か所に集まりそこで学ぶという概念は、紀元前8世紀から存在していたとされています。この記事では古代、学校がどのように始まったのか、現代の学校教育に貢献したのは誰なのかについて紹介していきます。
学校という概念がどのように生まれたのか?
教育の起源は古代人まで遡ります。かつて、人々は生きていくために必要な知識、技術、慣習、価値観を次の世代に語り継ぐことの必要性を強く主張してきました。次世代は語り継がれた情報をもとに未来をより良いものへと変えていくよう教育される必要があります。
昔の人は、家庭でそれらの情報を伝えてきたため、教育を行う機関は必要ありませんでした。人口が増え、様々な社会が形成され、一箇所に大人数の子供達を集め、一度に教育を行う方がより効率的であることに気づいたのです。
古代の学校教育
学校教育は紀元前12世紀から存在していました。古代ギリシャでは読み書きや、文学、楽器の引き方について教える私立学校がいくつか設立されました。紀元前3世紀には、ローマの学校で学校教育が改革されました。ローマの伝統、農業、戦争、公務に加え文学、算術も教えられ始めました。
古代インドにはグルクラムという教育システムがありました。そこでは、グル(指導者)一切の金銭を要求せず、グルと生徒との関係はとても神聖なものとされています。現在でもインドにはこのグルクラムがいくつか存在しており、研究者達はこの機関の有効性について研究を続けています。一方、中国では6世紀から紀元前221年の間に、学校や哲学がかつて無いほど繁栄、文化が発展した時代でした。
このほかにも西ヨーロッパでは、6世紀から10世紀にわたり多くの大聖堂学校が設立され数学から文学まで多岐にわたり教育が行われてきました。現在では、高等教育においてその存在はもはや重要ではなくなりましたが、しかし今でも初等・中等教育として機能しています。修道院学校も西方ラテンにて宗教観について教育するために設立されました。
イスラムもまた、知識を広めることを中心に学校制度を発展させました。初めは、モスクが学習活動を宗教活動と融合させました。その後、マドラサという初等・高等教育を行う公立の学校が9世紀に設立されました。14世紀には、オスマン帝国が教育制度の改革を行いました。それによって、より多くの人々が教育を受けれるようになり、宿舎、食事、医療も無償で提供されました。
中近世の間に何千もの学校が設立され、多くの学校ではラテン語が教えられました。この時に、現在のアメリカで言うプライマリースクールにあたる、グラマースクールと言う名称が生まれてたのです。しかし、イギリスでは適性や能力により生徒を選抜しています。この頃からスクーリング制度に芸術、技術的科目など広く様々な分野が取り入れられるようになりました。
現代教育を考案したのは誰か?
学校の発展と近代化に大きく貢献したことで称賛されているのは、アメリカの政治家であるホーレス・マンです。1837年、マサチューセッツ州教育委員会の事務局長になってからは新しい教育制度を立ち上げました。それにより、熟練したプロの教員のみがカリキュラムに沿って生徒を指導することができるようになりました。
彼はマサチューセッツにあるほとんどの学校を訪れ、どのように機能しているかを確かめました。それだけでなく、ヨーロッパにあるいくつかの学校も訪問し、指導方法について分析しました。1838年、公立学校と課題についてまとめたコモンスクール・ジャーナルを創刊し、その中で、6つの重要な要素について述べています。:
1. 市民は無知のままではいけない
2. 一般市民は制御教育のためにおかねを支払うべきだ
3. 学校は様々なバックグラウンドの生徒を受け入れるべきだ
4. 教育は特定の宗教団体と提携、制限されるべきでは無い
5. 教育は自由社会の原理に沿うべきた
6. 教員は良く訓練されているべきだ
しかしながら、これらの主張は当時、議論を引き起こしましたが、最終的には全ての州で適用されました。ホーレスマンがアメリカ教育の父と呼ばれるのはこのためです。
1852年には、オハイオ州に新設されたアンチオーク大学の学長に就任しました。ここでは、自然神学、道徳的哲学、政治経済学を教えました。また、初めて女性の教員を採用し、男性と同賃金を支払いました。
キャサリン・ビーチャーもまた、コモンスクール運動の主要な支持者の一人です。彼女は女性の教育にいくつか重要な貢献を果たし、幼稚園を子供の教育に取り入れることを強く支持しました。
ビーチャーは10歳のときに、コネチカット州にある私立学校に送れられました。しかし、そこでは限られた科目しか学ぶことができませんでした。もっと学びたかった彼女は、自力でラテン語、哲学、数学などを学びました。
1823年、ハートフォード女子神学校を設立しました。学校は、アメリカで女性のための教育の機会を初めて提供した機関の1つであり、設立から4年で100人以上を生徒を受け入れました。
その後、ビーチャーは子供達に身体、モラル、知性を教育するための公立学校の必要性を認識するようになりました。教育者のトレーニングプログラムを推進し、教師は医者や弁護士より社会にとって必要な存在であると言うことを強く主張しました。それに、女性の方が男性より質の高い教育を行うことができると信じていました。女性が家庭での女性の仕事以外でも活躍できる職業としました。
ヘンリー・バーナードも学校教育改革の貢献者の一人です。コネチカット州の衆議院議員(1837 – 1839)として、公立学校の管理をより良いものにする議案を提案、通しました。それだけでなく、公立学校を改革するための専門委員会を設立しました。1845年にはロード・アイランド教員協会を設立し、事務局長として就任し1845年から1849年の間に学校教育を改革するための重要な対策を講じました。
1905年、心理学者のアルフレッド・ビネーはフランスの文部科学省の委嘱を受けて、クラス内での生徒のパフォーマンスをもとに知的に遅れている生徒を選別するための知能尺度をテオドール・シモンと共に、開発しました。最初に比率IQを実用的に導入したのがビネーシモン式知能検査です。3年以内に、3歳から13歳向けへと改定されました。
初期のコモン・スクールは、一つの教室に初等教育対象の生徒全員を集めて、一人の教育者が様々なレベルを教えていました。20世紀初頭には、一つの教室のみだった学校は複数のクラス、送迎を行うようになりました。
学校が現在の形になるにはかなりの時間がかかりました。National Center for Education Statisticsによると、今日アメリカには 130,900以上の学校があり、5000万人以上の生徒が公立学校で学んでいます。生徒達は知識を身につけるだけでなく、憧れの高収入の職業に就く機会を与えられているのです。