史上最も偉大で有名な数学者は誰でしょうか? 簡単には答えられない質問です。というのも、キリストが誕生するずっと前の先史時代から、人類は「数学」を知っていたからです。
私たちの生活における数学の役割は計り知れません。数学は、何千キロもの距離を超えて電気を送ることを可能にし、DNAの概念を探求するのに役立ち、コンピュータを誕生させました。そして、宇宙をより深く理解しようとする私たちにとって、数学は必要不可欠なものなのです。
数学がなければ、科学者はよりよい薬を開発することができず、エンジニアは新しい技術を探求することができません。そのように数え上げると、きりがありません。
他の多くのものと同様に、現在私たちが知っている数学は、偶然に生まれたものではありません。数学者が新しい画期的な定理や方程式を立てるには、何十年もかかります。では、そのような数学者とはどのような人たちなのか、この記事でご紹介しましょう。(なお、人物の生年と没年を【 】内に追記しました)
16. シュリニヴァーサ・ラマヌジャン【1887年~1920年】
主な功績:ラマヌジャン-ピーターソン予想、ラマヌジャンのマスター定理
シュリニヴァーサ・ラマヌジャンは、近代インドで最も注目された数学者です。ラマヌジャンは正式な教育を受けていないにもかかわらず、若くして高度な数学的知識を身につけ、多くの人を驚愕させました。
彼は16歳ですでに、独自に開発したベルヌーイ数を研究し、オイラー・マスケローニ定数を計算できるようになっていたそうです。32歳の若さで亡くなるまでに、約4,000種類の数学的な恒等式を組み立てることに成功していました。
イギリスの著名な数学者であるG・H・ハーディがラマヌジャンの業績を認め、オイラー【後述】やヤコビ【後述】と比較したことで、ラマヌジャンは世界的に有名になりました。
15. ジョゼフ=ルイ・ラグランジュ【1736年~1813年】
主な功績:ラグランジュ力学、天体力学、数論
ジョセフ・ラグランジュは、偉大なレオンハルト・オイラー【後述】の最も有名な弟子の一人でした。ラグランジュの数学的キャリアは変分法(1754年)から始まり、オイラー=ラグランジュ方程式の定式化につながりました。
その数年後、ラグランジュは古典力学を改良し、ラグランジュ力学を発表しました。彼の有名な解析力学(Mécanique analytique)の研究は、研究者が数理物理学の分野を発展させるのに役立ちました。
14. アンドリュー・ワイルズ【1953年~】
主な受賞歴:ウルフ賞(1995/6年)、アーベル賞(2016年)
アンドリュー・ジョン・ワイルズ卿はイギリスの数学者で、かつて「最も難しい数学の問題」と見なされていたフェルマーの最終定理を証明したことが最も知られています。
1975年に、ジョン・H・コーツの指導の下で岩澤理論に取り組み始め、それをアメリカの数学者バリー・メイザーとともに続けました。
しかし、大躍進となったのは、1990年代初頭に、モジュール性定理(以前の谷山・志村予想)の大部分を証明したことでした。モジュール性定理は、突き詰めるとフェルマーの最終定理に関連するもので、それを証明するのに十分でした。
現在は、オックスフォード大学の研究教授を務めています。
13. カール・グスタフ・ヤコブ・ヤコビ【1804年~1851年】
主な功績:ヤコビ楕円関数、ヤコビ変換
カール・グスタフ・ヤコビは、19世紀を代表する数学者の一人です。楕円関数の理論を定式化したことは、この分野における彼の最大の功績といえます。また、微分方程式や解析力学(ハミルトン-ヤコビ方程式)の研究にも貢献しました。
また、機械力学や数論の分野でも基礎となる貢献をしました。
12. アラン・チューリング【1912 年~1954年】
主な功績:エニグマの暗号解読、チューリングの証明
主な受賞歴:スミス賞(1936年)
第二次世界大戦中、ドイツの情報網に入り込むことはほとんど不可能とみなされていました。連合国の多くは、ナチス上層部の重要な通信を傍受できなければ、いずれ戦争に負けるだろうと恐れていました。
前例のない数学的・暗号解読能力を備えたアラン・チューリングは、ポーランド製の機械であるbombeを大幅に改良し、エニグマをより速く解読できる機械を考案したのでした。
終戦後は、国立物理学研究所(イギリス)に加わり、初期のプログラム内蔵式計算機の1つである「自動計算エンジン」を設計しました。
その後、彼は理論生物学に関心を移しました。1960年代に観測されたベロウソフ・ジャボチンスキー反応【大変珍しい化学振動の代表例】を数学的に予測したのも、この頃でした。
11. ゲオルク・フリードリヒ・ベルンハルト・リーマン【1826年~1866年】
ベルンハルト・リーマン
主な功績:リーマン積分、フーリエ級数
ゲオルク・ベルンハルト・リーマンは、ドイツのダンネンベルク近郊の小さな村に生まれました。カール・フリードリヒ・ガウス【後述】の指導を受け、微分幾何学を学び、追加次元、あるいは高次元の理論を考案しました。彼の功績は、現在では、リーマン幾何学として知られています。
リーマンは、ヨハン・ペーター・グスタフ・ルジューヌ・ディリクレ【ドイツの数学者、1805年~1859年】から多大な影響を受け、その後の数学的キャリアにも影響を受けました。ディリクレの原理を用いて、有名なリーマン写像定理を定式化することができました。
彼の数学的方程式の一部を、後にアインシュタイン【ドイツ出身の理論物理学者、1879年~1955年】が一般相対性理論で使用しました。
10. アンリ・ポアンカレ【1854年~1912年】
1911年のソルベイ会議でのマリー・キュリーとアンリ・ポアンカレ
主な功績:三体問題、カオス理論、ポアンカレ・ホップフの定理
スコットランドの著名な数学者エリック・ベルによれば、ポアンカレは、当時の数学のほとんどすべての分野で活躍したことから、おそらく最後の普遍主義者の一人であったということです。
ポアンカレは、その生涯において、数理物理学、応用数学、天文学などの分野で数多くの理論を提唱しました。中でも、特殊相対性理論の構築に貢献しました。
また、ローレンツ変換や三体問題に関する優れた研究は、ほかの数学者や宇宙物理学者が地球や宇宙に関する発見をする道を開きました。
彼の理論的な作品は、ピカソやブラックなどの有名な芸術家にも影響を与え、20世紀に芸術運動(キュビズム)を確立させることになりました。
9. ダーヴィット・ヒルベルト【1862年~1943年】
ダーヴィット・ヒルベルト(ゲッティンゲンの自宅にて)|画像提供:idw-online.de
主な功績:証明論、ヒルベルトの問題
ダーヴィット・ヒルベルトは、おそらく史上最も偉大な数学者の一人です。可換環論、変分法、数理物理学などの分野で、基礎理論の構築に貢献しました。
ヒルベルトの問題(1900年に発表された23の数学的問題群)は、数学の様々な分野の画期的な研究に影響を与えました。この問題の中には、現在でも未解決のものがあります。
晩年には物理学に没頭しました。一般相対性理論の研究でアインシュタインと競い合ったのもこの頃でした。
8. レオナルド・フィボナッチ【1170年~1175年頃】
主な功績:フィボナッチ数
ピサのレオナルドとも呼ばれるフィボナッチは、中世後期の最も優れた数学者の一人でした。
最も重要な貢献は、個人的な書物である「Liber Abaci【算術の書】」でしょう。彼はこの書物を通じて、インド・アラビア語の数詞体系(0,1,2,3,4…)とフィボナッチ数列をヨーロッパに広めました。
現在、フィボナッチ数列はコンピュータのアルゴリズムやデータベースに使用されています。
7. ベルヌーイ家
数学の世界で、ベルヌーイ家は最高の地位を占めています。アントワープ(ベルギー)出身のヤコブ【1654年~1705年】と弟のヨハン・ベルヌーイ【1667年~1748年】が、ベルヌーイ家の最初の数学者でした。
ヤコブとヨハンは共に微積分学を研究し、ベルヌーイ数や最速降下曲線などの定理や正当性を証明しています。
ヤコブの息子であるダニエル・ベルヌーイ【1700年~1782年】は、この一族の中で最も著名な人物の一人です。気化器や飛行機の翼の働きを数学的に説明した「ベルヌーイの定理」という最も有名な功績を残したほか、確率・統計学の分野にも多大な貢献をしました。
6. ピタゴラス【紀元前570年頃~紀元前496年頃】
ラファエロによるフレスコ画「アテナイの学堂」に描かれたピタゴラス(書物を書いているところ)
主な功績:ピタゴラスの定理、比例論
サモス島のピタゴラスは紀元前570年頃に生まれましたが、他の古代ギリシャ人と同様、その生い立ちについてはあまり知られていません。哲学者としての彼の業績は、プラトンやアリストテレス、さらにはヨハネス・ケプラー【ドイツの天文学者、1571年~1630年】やアイザック・ニュートン【後述】などにも影響を与えました。
それぞれの真偽については議論の余地がありますが、多くの数学的発見がピタゴラスに起因するとされています。その中でも最も有名なものは、ピタゴラスにちなんで名付けられた「ピタゴラスの定理」でしょう。しかし、歴史家のなかには、この定理がピタゴラスの時代よりもずっと前に、バビロニア人によって知られていたと述べているものも多くいます。
ピタゴラスは「比例論」を発見した人物でもあります。
5. カール・フリードリヒ・ガウス【1777年~1855年】
主な受賞歴:ラランド賞(1809年)、コプリメダル(1838年)
カール・フリードリヒ・ガウスは、おそらく古代ギリシャ以来、最も影響力のある数学者です。数学や物理学の様々な分野で、他の追随を許さないほどの貢献をしました。7歳のとき、クラスの誰よりも速く算術級数を解くことができたことから、その才能を発揮し始めました。
「ガウスの法則」や「驚異の定理」などの有名な業績があります。これは、地球を地図上に表示する際、何らかの歪みがなければ表示できないと結論づけたものです。また、非ユークリッド幾何学の可能性を最初に示唆した人物でもありますが、その発表は行われませんでした。
4. アイザック・ニュートン【1643年~1727年】
主な功績:ニュートンの運動の法則、微積分法、ニュートン力学
アイザック・ニュートンは、古典力学や微積分学の創始者の一人です。彼の重力に関する考え方は、アインシュタインが相対性理論を発表するまで、普遍的に受け入れられていました。
ニュートンの数学への最も顕著な貢献は、微積分(当時は無限小と呼ばれていました)で、これは同時代のゴットフリート・ヴィルヘルム・ライプニッツ【ドイツの哲学者、数学者、1646年~1716年】とは別で開発したものです。
地球上の潮汐の乱れの理由を最初に説明し、ケプラーの惑星運動の法則の検証に貢献したのはニュートンです。光学の研究では、世界初の屈折式望遠鏡を開発しました。
3. レオンハルト・オイラー【1707年−1783年】
ヤコブ・エマニュエル・ハンドマンによるレオンハルト・オイラーの肖像画
主な功績:オイラー予想、オイラー方程式、オイラー数
レオンハルト・オイラーの数学への貢献を称えて、フランスの著名な天文学者・数学者であるピエール=シモン・ラプラスは、「オイラーを読め、何度でも読め、彼は我々のマスターだ」と書いています。
現代の数学者はオイラーを高く評価しており、18世紀の数学者の中で最も影響力のある偉大な人物とみなしています。
オイラーは、代数学、三角法、幾何学など、数学のほぼすべての主要分野に多大な貢献をしました。物理学の分野では、流体力学やフーリエ級数の研究で他の追随を許さない業績を残しています。
2. アルキメデス【紀元前287年頃~紀元前212年頃】
主な功績:アルキメデスの原理、流体静力学
アルキメデスは、紀元前287年頃シチリア島シラクサの生まれで、当時の数学、物理学、天文学に精通していました。多才な人物でしたが、その文学作品のほとんどは残っていません。
アルキメデスは幾何学の先駆者の一人で、円の面積、体積、球の表面積などの定式を導き出しました。彼の円周率の決定方法は、何十年もの間、円周率を計算する唯一の方法として知られていました。
数学分野で最高の栄誉とされるフィールズ賞のメダルには、アルキメデスの肖像(右向き)と彼の言葉が刻まれています。
“Transire suum pectus mundoque potiri” ー己を高め、世界を捉えよ。
1. ユークリッド【紀元前330年頃~紀元前260年頃】
主な功績:ユークリッド幾何学、ユークリッドの互除法
アレクサンドリアのユークリッドは、ギリシャの数学者で、幾何学の創始者として広く知られています。13の書物からなるユークリッドの『幾何学原論』は、最古かつ最も影響力のある数学書のひとつとされています。
ユークリッドの『幾何学原論』では、幾何学(現在ではユークリッド幾何学として知られています)が中心となっていますが、初歩的な数論も包括的に紹介されています。また、光学分野での業績も高く評価されています。
ユークリッドは、公理から出発して複雑な結果を論理的に得るという体系的なアプローチをとり、後世の偉大な人々に影響を与えました。ニュートンの『自然哲学の数学的諸原理』はその典型的な例です。