私が本格的に複業を始めたのは2016年9月のことです。複業を始めて1年半が過ぎました。複業を始めてから、どんなときも「今がいちばん楽しい!」そう思えるようになりました。その理由は、日々自分自身がアップデートされていくからです。複業を通して「年中無休」ならぬ、「年中夢中」は自分次第でいかようにも創り出すことができることを知りました。
でもこの「複業」という働き方にたどり着くまでに、私は33年かかりました。振り返ると私は33年間のうちの1/3ちかくの時間を「自分らしく働く」を探すことに費やしていたように思います。
最近、働き方に関するイベントに登壇させていただく機会が増え、参加者の方とお話をさせていただくと、過去の私のように「自分らしく働く」を探して、迷ったり、悩んだりされている方にお会いします。そんなとき私はいつも「大丈夫。探し続けていれば必ず見つかります。」そんな風にお伝えしています。
探しものも探そうとしなきゃ見つからない、それと同じで「自分らしく働く」も探さなきゃ見つからないと私は思っています。
これから私が今夢中になっている「複業」という働き方についてご紹介していきます。しかしこの働き方は、私にとって“しっくりくる”のであって、誰にとっても心地の良い働き方ではないかもしれません。それでも、働き方の1つの選択肢として「複業」を知ってもらいたいと思っています。
少しでも自分らしい働き方のヒントが見つかりますように。
――三原 菜央(みはらなお)
1984年生まれ、岐阜県出身。大学卒業後、専門学校・大学の教員として8年間勤務した後、不動産の広報PRを経て、Webのプロモーションを行うベンチャー企業に転職。主に営業とオウンドメディアの立ち上げに従事。その後、学校広報やオウンドメディアの経験を活かして大手事業会社の社外広報へ。本業に留まらず、『先生の学校』の開催や業務委託で広報PRを担うなど、複業家として幅広く活動中。
「副業」ではなく、「複業」のすすめ
今でこそ各メディアで「副業2.0」「パラレルキャリア」「複業」といった特集が連日組まれ、政府も副業・兼業の推進を図る姿勢を見せるなど、誰もが一度は聞いたことがあるようなキーワードになりました。
しかし、私が複業を始めた2016年9月には「複業」という言葉は流通していなかったですし、私自身も複業を始めた当初は、自分が複業をしているという認識はありませんでした。後に「複業」と名付けられたその働き方がどんなものなのか、「副業」と何が違うのか、私なりに図にまとめてみました。
▲「副業」と「複業」の違い
「副業」と「複業」の大きな違いは、目的です。
「副業」の目的は、副収入を得ること。しかし「複業」の場合は、自分らしい生き方の実現が主な目的です。
「副業」は字のごとく、本業=メイン、副業=サブという考え方ですが、「複業」は、本業=メイン、複業=メインという考え方です。ただ、本業と複業では、費やす時間には差があります。費やす時間に差はあったとしても、自分の中での重要度に優劣はなく、ともにメインのナリワイであるということが大きな特徴になります。
教育団体の主催から、広報PRプランナー、フィンランドのツアー企画まで
私はいま、事業会社の広報PR職に従事するかたわら、複業として、学校の先生に社会と繋がる機会を提供する『先生の学校』という団体を主催しています。先生たちに新しい視点を届けることをコンセプトに、毎月テーマを設けたイベント開催、SNSでの発信をメインに行っています。
これが2016年9月に私が最初に始めた複業です。これまでに20回以上のイベントを開催し、約700名の方にご参加いただきました。
▲『先生の学校』イベント
その他に、フィンランド教育を生で見たことをきっかけに、多くの人に「フィンランド教育を知ってもらいたい!」と、フィンランドの教育視察ツアーを企画・運営したり、広報PRの知見を生かし、子ども服の会社や出版社で広報PRのプランナーをさせていただいております。大きくわけるとこの3つが、私の複業の柱になります。
1.『先生の学校』の企画・運営
2.教育視察ツアーの企画・運営
3.広報PRプランナー×数社
先ほど、「複業」は収入目的ではなく、自己実現が目的という話をしましたが、この3つの複業を通してある程度の収入も得られています。収入を得ることが主な目的ではありませんが、収入は自分の活動に対する対価、そして評価でもあるので、複業の1つの成果指標として見ています。
「安心・安全・安定」を捨てるのが怖かった私
私がなぜ「複業」という働き方に辿りついたのか、その話をしたいと思います。
私は新卒から8年間、保育士や幼稚園教諭の資格を取得できる専門学校・大学で教員をしていました。あるときいつもの通り、生徒の進路相談にのっていると「先生、僕はお給料の安定しない保育園や幼稚園ではなく、一般企業に就職したい。だから先生のおすすめの一般企業を教えてほしい。」そう相談されました。
そもそも保育士のお給料が他の一般企業と比べて低いか否かすら、比較する情報を私は持ち合わせていませんでした。ましてや一般企業に関する知識が私にはまったく装着されていませんでした。そのときにきちんと回答できなかったことが悔しくて申し訳なくて、そこから教育以外の情報に目を向けるようになりました。
それが2010年頃の話です。2007年にiPhoneが発売され、今ではアタリマエになったSNSもようやく周囲で使い始めた人が出始めた頃でした。
学校の外に目を向けていると、とんでもないスピードで産業が発展していくことに気付きました。かたや学校に目を向けると、ソフト面においてもハード面においても、時代が止まっているように見えました。
教育業界のアップデートの遅さによって、子どもたちの機会損失を招いているのではないか、そんなことを考えるようになるにつれ、私自身が教育業界を飛び出して、社会を見たいと思うようになりました。
しかし、「安心・安全・安定」な教育機関の環境を捨てて飛び出すのには想像以上の勇気がいり、果ては「どうせ私は一般企業では活躍できない」とか、「転職活動なんてしたことないし、どうせうまくいかないだろう」という言い訳が頭を巡るようになりました。気付けば、1年ちかく「このままで良いのか」をグダグダと考えながら過ごしていました。
「どうせ無理」から「とりあえずやってみよう!」へ
そんなグダグダと結論を出せずに過ごす毎日の中でも、学校の外に向けるようになってから様々な価値観に触れるようになり、「カマス理論」という考え方に出会います。
みなさんは「カマス」という魚をご存知でしょうか?カマスは大体30㎝~60㎝くらいの大きさで、海に住んでいて、小魚を食べる魚です。
▲カマスの写真
そんなカマスを大きな水槽に入れます。そこに小魚を入れると、もちろんカマスは躊躇なく小魚を食べます。
ここで、水槽の中に透明の薄い板を入れ、小魚とカマスを分けます。すると、カマスは小魚を食べようとしますが、薄い板にぶつかって食べることができなくなります。何度も何度も食べようとしますが、食べられません。
そしてある程度の時間をおいてから、水槽の中の透明な薄い板を外します。すると、狭いスペースにいた小魚たちは水槽の中を泳ぎまわり、カマスの目の前にもやってきます。
さて、ここで問題です。小魚がカマスの目の前に行ったとき、腹ペコのカマスはどうするでしょうか?
実は、小魚がカマスの目の前にきても、一切小魚を食べなくなるのです。カマスには「食べられない」という思い込みが定着してしまったのです。
この話を聞いたときに、「今の私はカマスだ!」とハッとしました。
本当は食べられるのに、食べられないと思い込んで食べられなくなってしまったカマス。教育機関を「安全・安心・安定」と思い込んで、社会に飛び出すことができないでいる私。この「カマス理論」との出会いが1つのきっかけになり、自分とより向き合うことができるようになりました。
ちなみに、このカマス理論には続きがあります。
小魚を「食べられない」という思い込みを持ってしまったカマス。このままでは死んでしまいます。でもこのカマスを助ける方法が1つだけあるんです。みなさんは分かりますか?
答えは、新しいカマスを1匹水槽に入れるんです。
新しいカマスは思い込みを持っていないので、目の前に泳いできた小魚をパクパクと食べます。その様子を見ていた思い込みカマスは、「あれ?食べられるの?」「食べられるんだ!」と気付いて、また小魚を食べるようになるのです。
人の思い込みというのは、定着してしまうとなかなか消えないものです。でも、変えられないわけではないんですよね。私はそれを知ってから、すべてにおいて「本当にそうかな?」と一度疑うことを習慣化しました。私なりの自己点検です。思い込みが悪いことではありませんが、自分の可能性を制限しているような思い込みがないかは定期的に振り返るようにしています。
みなさんにも「どうせ無理」と考えていることはないでしょうか?「どうせ私らしく働ける職場なんてない」「どうせ私には複業なんてできない」。それはすべて自分を制限している思い込みかもしれません。
「私らしく働く」を探して
先生を辞めることを決意し、ベンチャー企業にキャリアチェンジしたものの、8年間染みついていたあらゆる思い込みに苦しむことは多々ありました。
それでも学校を飛び出して社会に出てみると、同世代はもちろん5歳以上年下の方たちがすでに会社を経営していたり、「いつまでに○○を成し遂げる!」と夢に向かって一歩一歩進んでいる方、そんな年齢関係なく自分を生きている人たちに出会い、「私はこれからどう生きたいのか?」という新しい問いにぶつかることになりました。
そのときすでに私は30歳を迎えていて、年齢に焦りもありました。
「時間は有限である」ということを強く意識したのもこの頃です。人生は思っていたより短い。「どう生きたいか」を具体的に描いて、それに向かって1日1日を過ごしていかないと、後悔することになる。そう思いました。
ずっと考えて出てきた答えは、時間をやりくりしながら、やりたいことはすべて挑戦するということでした。
まだまだ一般企業で学べることがあると思っていたので、独立という選択肢は持たず、「副業可」の今勤めている事業会社に2016年の2月に転職し、その3か月後には「複業」開始に向けて準備を始めていました。
セルフチェックとテクノロジーで実現する、有効な「時間の使い方」
複業を始めて1年半が過ぎましたが、始めた当初から工夫しているのは「時間の使い方」です。私がまずやったのは、現状の時間の使い方をノートに書き出してみることでした。1日のスケジュールを書き出すことで、もったいない時間の使い方をしていないか、もっと有効に使えそうな時間なはいかをセルフチェックすることができるのです。
私の場合は、通勤時間や、昼食の時間、夕食後の時間、土日の時間の使い方を改善できそうでした。そこで行きの通勤時間は、今日やる仕事のタスクの洗い出しや優先順位づけ、また複業関連のメールのやり取り、『先生の学校』のSNS発信などに使うことにしました。読書をするといったインプットの時間も大切なので、帰りの通勤時間は読書に時間を使うことが増えました。
また、テクノロジーの力をかりて時短できることはないかを探し、活用することもあります。私の場合は、ドラム式全自動洗濯機に日々助けられています。ボタン1つで乾燥までしてくれて、週に最低2回は洗濯物を干す時間に10分は使っていたため、1週間で20分の時短に成功しました。たった20分?と思われるしれませんが、塵も積もればなんとやら、です。
この時間の使い方については、定期的にセルフチェックするようにしています。日々、私の中の優先順位が変化していくためです。もし「時間の使い方」に悩まれている方がいらっしゃれば、まずは時間をつくり、現状の時間の使い方についてセルフチェックしてみてください。
限られた時間で、やりたいことを実現する「頭の使い方」
複業に興味がある方に始めておくと良いことをアドバイスするとしたら、「自分で選択する」習慣を身につけることをおすすめします。
複業は、フリーランス同様に個人が企業に向き合ったり、個人で解決していかないといけないことが多いため、すべてにおいて選択を迫られることになります。会社にいると「決められるストレス」に悩むことがあると思いますが、複業を始めると「決めるストレス」に悩むことがあります。
一見、すべて自分で決められるというのは自由で良いのでは?と思うかもしれません。しかし、自由と責任はセットなので、自分で決めるということは、すべての責任を自分が負うということを意味しています。
複業を始める人が徐々に増えてきた最近では「決断疲れ」という言葉も聞かれるようになりました。少なからず、「自分で選択する」ことは負荷がかかります。その負荷に潰されないためにも、筋トレのように日頃から少しずつ「自分で選択する」ことを鍛えておきましょう。
難しく考えず、日頃の小さな決断から意思を持って行ってみるのです。例えば、今日のランチは◯◯の☓☓を食べようとか、このテレビを見ようとか、今日は22時に寝ようとか、何でも構いません。「何でもよい」という選択から「私はこれにする」という選択を習慣化してみましょう。
ちなみに何かを習慣化させるには21日間毎日繰り返すと習慣化されるそうです。21日間=3週間、まずはやってみてはどうでしょうか。
複業で得た「お金」は次のステップへの資金として
最後に、みなさんの中にも興味をお持ちの方が多いであろう「お金の話」をして終わりにしたいと思います。
途中でもお話した通り、複業は収入を得ることが主な目的でないものの、複業の対価としての大切な評価軸であり、モチベーションアップにも繋がります。
私自身、複業を始めてから収入が増えたことで、心のゆとりが生まれ、モチベーションアップにも繋がったように思います。
しかし、その複業で得られたお金の使い道は、すべて次のステップへの資金として活用しています。
私は毎週日曜日、サザエさん症候群になりそうな21時頃から、自分会議の時間を1時間ほどつくっています。
いまだに抽象度の高い言葉でしか言い表すことができない「私はどう生きたいか?」という問いの答えを書き出してみたり、「新しくチャレンジしたいことはないか?」「今、やっていることにワクワクできているか?」「やらなくていいことをやっていないか」など、自分に問いながら会議をするのです。
すると、無意識が意識化され、「◯◯に挑戦したい」とか「先生の学校でこんな企画をやってみたい」とか、次のステップへの足掛かりが見えてくるのです。
例えば、ちょうど今取り組んでいることになりますが、自分会議を通して『先生の学校』でメディアをつくりたい!と思うようになりました。
教育業界でイノベーティブな活動をされている方の取り組みを、広く多くの方に届けたいというのが狙いですが、やはりメディア1つ作るのにもお金がかかります。
サイト制作やサーバーの費用、記事を書いてもらうライターさんの費用や、カメラマンさんへ費用を考えると、月々10万円ほどのランディングコストはかかってきそうです。そういった新しい挑戦をする際の資金として、複業で稼いだお金は使っていきたいと思っています。
新しいことにチャレンジできるということは責任も伴いますが、それ以上にワクワクすることです。常に新しいことにチャレンジできるのは「複業」があってこそ。だからこそ私は今、「年中夢中」をつくりだすことができています。
冒頭でもお話しましたが、複業は「自分らしく生きる」ための1つの選択肢でしかないと思っています。複業という働き方がフィットする人もいれば、そうでない人もいると思います。ただフィットするか・しないかはチャレンジしてみないと分かりません。もし興味があるのであれば、「とりあえずやってみよう!」の精神で挑戦してもらえたら嬉しいです。
みなさんの「自分らしく働く」が見つかりますように。私も心から願っております。
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