西洋において自由とは非常に価値のあるもので、それを疑問に思うことすらありません。しかしインターフェースデザインやUXにおいては、無制限のカスタマイズが悪い結果となることもあるのです。
無制限のオプションはユーザーの利益となるか
自由の価値は認めますが、UIにおいては自由すぎるのは良くないのです。現代では忘れられていますが、コンピューターはもともと訓練を積んだ一部のユーザーにしか扱えない代物でした。アップルのスティーブ・ウォズニアックはオープン性を重視していましたが、スティーブ・ジョブズは反対の立場を取っていました。
自由よりも品質を
ジョブズの哲学の中心にあったのは、実際のユーザーに最高品質の製品を届けることでした。平凡に聞こえますが、その実装は当時としては革命的でした。ハードとソフトに制限を設けることで、ユーザーにカスタマイズをさせなかったのです。この考え方の是非は今でもよく議論されます。
カスタマイズが製品を殺す時
どこまでのカスタマイズであれば許容されるのでしょうか?私のオフィスにあるコーヒーメーカーがいい例です。そのコーヒーメーカーはオフィス用の定番モデルで、ユーザーごとに設定を変更・記録でき、最高の状態でコーヒーを淹れられます。
素晴らしいように聞こえますが、現実は悲惨です。メインメニューからプログラムを選んだあと、つまみを回してどれだけのコーヒーを削るのかを決定できます。コーヒーとミルクの量も変えることができます。問題はこの設定がリセットされずに残ってしまうことです。オフィスに居る40人もの従業員が好みの設定を作り始めると、そこに待ち受けているのは混沌です。
コーヒーを淹れるたびに前のユーザーの設定を修正したいと思うでしょうか?いいえ。カスタマイズでコーヒーがおいしくなったでしょうか?あまりそうは思えません。従業員は訓練を受けたバリスタではありません。なぜこの製品は、私たちがコーヒーの知識を持っていることを前提に接してくるのでしょう?
カスタマイズが抱える問題
カスタマイズ性を高めると、副作用として専門知識を求められます。プロの代わりに作業する製品を作ることはできますが、その製品がプロを代替してくれることはありません。コーヒーメーカーも、カスタマイズ性を高めたことで使用者に専門知識が求められることになりました。
もちろん、必ずしもカスタマイズを行う必要はありません。必要ないなら無視できます。しかし、いたずらにカスタマイズ性を高めてしまうと、付加価値を何も提供できない、ただユーザーを苛立たせる製品になってしまうのです。
※本記事は、How much customization is enough in UX? A case studyを翻訳・再構成したものです。