ウェアラブルデバイスがなぜここまで普及が遅れているのか、その原因と解決策を指摘している人がいたのでご紹介します。
私たちはテクノロジーに支配されるゾンビ?
デザインという観点では、基本的に製品はユーザーをもてなすためにあります。製品はユーザーの行動を制限するべきではないし、ユーザー体験を妨げるべきでもありません。でも実際、私たちはテクノロジーに支配され、あたかもゾンビのような状態になっていると考えたことはないでしょうか?
医学の知見からは「テキストネック(スマホの見過ぎで首が曲がること)」が危惧されています。交通事故の25%はスマートフォンが原因で起こっているとも言われています。間違いなく製品に支配されている人の数は増えているのです。私たちはどうすればこの悪循環から抜け出せるのでしょうか?
ウェアラブルはゾンビの治療薬となるのか?
「スマートウォッチ」に代表するウェアラブルデバイスは私たちの日常生活のあらゆる面で効率と生産性を上げるのに役立っています。最近は地図の変わりにもなりますし、音楽プレイヤーや電話としても使えるようにもなりました。近い未来にはユーザーの病気を検知したり、その治療を助けてくれるようになるとも言われています。
私はウェアラブルこそ、テクノロジーの支配から抜け出す解決策だと思っています。
ウェアラブルが直面するある1つの問題
ところで、ウェアラブルデバイスのテクノロジー自体は年々進化していくものの、ウェアラブルの一般普及は成功しているとは言えません。その原因として、デザイナーが常に直面している根本的な問題が一つあります。「UX、インダストリアルデザイン、ファッションの融合」です。この難しさがネックとなり、普及が遅れていると考えられます。
人の気分を測定するドレス
私はそのアプローチ方法には疑問を持っています。ウェアラブルデバイスを考える上で、多くの人がある大事な考え方を見落としていると思うのです。私たちはウェアラブルをスマホやタブレットに次ぐ新しいデバイスと考えていますが、そうではなく、もっと人間に近いものとして捉えるべきなのではないでしょうか?
近年では小さなスクリーンをタッチしなくても、もっと直感的な身体の動きでデバイスを操作する研究も進められています。この技術が完成すると、ウェアラブルはインタラクティブなものになり、人間との距離がより近づくことになると考えます。このように、ウェアラブルは人間との距離が極限まで近いものとなり、かつ、美しく、ほとんど目につかないものとなることで多くの人に使われるようになると思うのです。
これ以上詰め込む必要はない
ウェアラブルを設計する上で確実に言えることは、これ以上詰め込む必要はないということです。色々な機能を詰め込んで、飾り立ててもすぐに飽きてしまうだけで、毎日「つける」ものではなくなります。毎日着る服はたいてい、実用的でシンプルであることが多いです。
理想的にはウェアラブルデバイスは、外見はユーザーのファッションの一部として存在し、中身はシンプルで魅力的で、次世代のITテクノロジーを取り入れる器をもったものであるべきだと思います。
この記事は「The Age of the Wearable is Inevitable. There’s Only One Problem.」を翻訳・引用したものです。