お金を稼ぐのは非常に大変ですが、巨額の富を維持し続けることも同じくらい骨が折れるものです。この2、30年の間に、億万長者がわずか数か月で財産を失う様子を、私たちは度々目撃してきました。
しかし、どうしてそのような損失が起こってしまうのでしょうか。マネーロンダリングや株価操作、そのほかの金融犯罪が直接の原因であることがほとんどですが、予期せぬ景気の悪化なども原因となります。
たとえば2008年の金融危機の際の景気悪化はひどいものでした。最終的に何十億ドルものお金が会社の帳簿から吹き飛び、全世界が不況に見舞われたのです。かつて億万長者にまでのぼりつめながら、結局すべてを失ってしまった人たち。私たちは今こそ彼らをかえりみて、過去の失敗から学ぶべきではないでしょうか。
ラメシュ・チャンドラ
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インド人実業家のラメシュ・チャンドラは、不動産業で財を成した人物です。現在インドで2番目に大きな不動産会社となっているユニテック社の創設者であり、同社のおかげで絶頂期には92億ドルを所有し、帝国を築き上げました。しかし、2001年に同社は国家的な通信スキャンダルに関与してしまいます。その結果、2011年にはチャンドラ氏の息子であるサンジャイ・チャンドラが逮捕されるという事件が起こりました。
チャンドラ氏は多額の借金と大量の資産売却をする羽目になり、その損失を二度と取り戻すことができませんでした。
パトリシア・クルーゲ
次にご紹介するのは、かつて世界一の長者と言われ、1990年には50億ドルの個人資産を所有していたジョン・クルーゲの妻、パトリシア・クルーゲです。ジョンと離婚した際、パトリシアは年に100万ドルを受け取ることになりましたが、同時にバージニア州の田園地帯にあるアルベマールという豪華な不動産も手に入れました。このチャンスに賭けたパトリシアは、クルーゲ・エステート・ワイナリーとブドウ園を設立しました。
さらに彼女は不動産業にも参入。6,500万ドルの融資を受けて十数件の高級住宅を建設しましたが、これは後に彼女の最大の失敗となりました。2008年に銀行危機・住宅ローン危機が起きて、パトリシアはローンを滞納し、ほかの貴重な財産と共に、このアルベマールの不動産も売却せざるを得なくなりました。
ちなみに、このクルーゲ・エステート・ワイナリーとブドウ園は、その後ドナルド・トランプが600万ドルで購入しました。
フアン・ウェンジ
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フアン・ウェンジは、香港を拠点とする傘の製造会社、チャイナ・ジーチャン・ホールディングスの会長です。同社の株式の75%は彼とその妻、チェン・ジウが保有しています。近年の株式市場の暴落により、会社の株価はわずか2日のうちに約91%下落し、彼は19億ドルの個人資産を失いました。
このとき、香港株式市場の激しい乱高下によって、彼らだけでなく他の企業も時価総額にして数十億ドルの損失を出しました。
アルベルト・ヴィラール
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アルベルト・ヴィラールは、アメリカを拠点に活動した元投資マネージャーです。彼は自身の投資会社アメリンド・インベストメント・アドバイザーズを設立し、数十億ドルを稼ぎ出しました。ビジネスパートナーであるゲイリー・タナカと共に、数年にわたって多額の利益を上げ、最盛期には同社の純資産は10億ドルにものぼったと見られています。
しかし、2000年の株式市場の大暴落によって、ヴィラールと彼の会社の財務状況は大きな打撃を受けました。2005年、ヴィラールとタナカは証券詐欺の疑いで逮捕され、3年後に、マネーロンダリング、電信詐欺、株式詐欺事件で共に有罪判決を受けました。現在、ヴィラールは10年の実刑判決を受け服役中です。
アドルフ・メルクル
アドルフ・メルクルは、かつては約128億ドルの個人資産を所有し、ドイツでもっとも裕福な人物のひとりでした。今回紹介しているほかの何人かと同じように、彼もまた2008年の金融危機で打撃を受け、約36億ドルを失っていますが、このときは持ちこたえ、彼はドイツでもっとも裕福な5人のうちのひとりであり続けました。
しかし2008年末には、彼の投資会社VEMが深刻な流動性危機に直面し、60億ドルの損失を計上しました。この埋め合わせをするために、メルクルは大きな賭けに打って出て、リスクの高い投資を次々と行いましたが、結局はさらに大きな金額を失う結果となりました。メルクルはほぼすべてを失い、列車に身を投げるという悲劇的な最期を遂げました。
ビジェイ・マリヤ
ビジェイ・マリヤはインド人実業家であり、かつては億万長者でしたが、現在は大規模な金融詐欺の罪に問われ、イギリスからインドへの身柄引き渡しの対象となっています。28歳のときに父親の経営していた中堅企業を継いだマリヤは、その後インドでもっとも裕福な酒類王にまでのぼりつめ、「King of Good Times(好景気の王者)」との異名を馳せました。会社を数十億ドル規模にまで成長させ、15億ドルもの個人財産を築いたマリヤ。
しかし、彼が所有していたキングフィッシャー航空に負債が積み重なり始めたことがトラブルの始まりでした。その後すぐに父親から受け継いだ会社であるユナイテッド・スピリッツの支配権を失い、会長から退くことを余儀なくされました。数百万ドルの負債を抱えたマリヤは、インドを脱出してイギリスに亡命。億万長者から、一瞬にして犯罪者へと転落してしまったのでした。
ショーン・クイン
2008年の景気後退によって多くの会社が廃業を余儀なくされ、裕福な人々が破産に追い込まれました。ショーン・クインもそのひとりです。彼は2005年には60億ドルの純資産を有し、アイルランドでもっとも裕福な人物でした。彼は持ち株会社であるクイン・グループの支援を受けて、ブパ・アイルランドやアングロ・アイリッシュ銀行をはじめとするさまざまな多国籍企業の株式を購入しました。
アイルランドの銀行システムを金融危機が襲った直後、アングロ・アイリッシュ銀行が莫大な損失を被ったことが主な原因となって、ショーン・クインは家財のほとんどを失いました。2008年には、彼の事業のひとつであるクイン・インシュアランスが、アイルランドの金融規制当局から325万ドルの罰金を科せられました。同社がインサイダーローンを行っていたためです。
清算訴訟や罰金、詐欺など、複数の問題が重なって、クインは2011年に、ついに自己破産を申し立てました。
バーナード・マドフ
バーナード・マドフは、まさに現代のねずみ講の王様です。2008年に逮捕されるまで20年以上にわたり、マドフは「スプリット・ストライク・コンバージョン(SSC)」と自ら呼んだ投資手法によって、何千人もの投資家から数百億ドルもの金をまんまとだまし取っていました。この手口で、彼は安定した高利回りを顧客に提供しているように見せかけていましたが、実際には集めた資金を運用することなく、すべてひとつの銀行口座にため込んで管理していました。
2008年の金融危機で、市場の流動性が低いために顧客を増やすことができず、彼の手口が失敗に終わった後、連邦政府の調査によって648億ドル相当の詐欺が発覚。マドフはこの詐欺を行っている間に、数十億ドルもの個人財産を築いたと推定されています。
エリザベス・ホームズ
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次にご紹介するのは、アメリカの発明家であり起業家であったエリザベス・ホームズです。2015年に、彼女は自ら財を成した中では最年少の女性億万長者となりました。彼女が創設したヘルスケアテクノロジー企業セラノスの時価総額が90億ドルに達し、巨額の富を得たためです。ホームズは2015年にタイムズ誌の「もっとも影響力のある100人」にも選ばれ、瞬く間にセレブの仲間入りを果たしました。
しかし億万長者になったのも束の間、同社に連邦政府の調査が入りました。同社が開発した画期的な新しい血液検査技術に関して、投資家を騙しているのではないかとの疑惑が浮上したためです。この疑惑によって、彼女の信用と個人資産は深刻な損害を被る結果となりました。
フォーブス誌は彼女の資産評価額がゼロに転落したことを報じ、フォーチュン誌はホームズに、「世界でもっとも期待はずれなリーダー」という称号を与えました。また、連邦政府のメディケア・メディケイド・サービスセンター(CMS)によって、ホームズはその後2年間、セラノス社における一切の役職に就くことを禁じられました。
アレン・スタンフォード
資本家のロバート・アレン・スタンフォードは、かつては億万長者でしたが、大規模な金融詐欺で懲役110年の実刑判決を受け、2009年から現在もなお服役中です。彼は、スタンフォード・ファイナンシャル・グループという、今は存在しない金融サービス会社の会長を務めていました。このグループの子会社であったスタンダード・インターナショナル銀行は、136か国以上に3万人を超える顧客を抱え、約85億ドルのAUM(運用資産)を保有していると謳っていました。
転落のきっかけは2009年。米国証券取引委員会(SEC)がスタンフォードと彼の会社に対する調査を開始したところ、大規模なねずみ講の手口を用い、高利回りと偽って80億ドルもの譲渡性預金を不正に販売していたことが明らかになり、彼は詐欺罪で起訴されたのです。郵便詐欺・電信詐欺・マネーロンダリング、司法妨害、そのほかさまざまな罪に問われたスタンフォードは、2009年6月についに逮捕されました。
ビョルゴルフル・グドムンドソン
2007~2008年に起きた銀行危機の影響を世界でもっとも受けた国は、アイスランドでした。2008年の後半にアイスランドの3大銀行がすべて債務不履行に陥ったことをきっかけとして、結果的にアイスランドは3年もの間、深刻な経済不安と社会不安に包まれました。
この金融危機以前はアイスランドで2番目に裕福な人物だったのが、ビョルゴルフル・グドムンドソン。彼は、2002年にアイスランドの3大銀行のひとつであるランズバンキの株式の45%を取得しました。フォーブス誌が作成した2008年3月の世界富豪ランキングで、ビョルゴルフルは1,014位にランクインし、その総資産は11億ドルと言われていました。
しかし、アイスランドの金融危機の勃発によって、ビョルゴルフルは2008年にランズバンキの会長職を失い、1年後には自己破産を申請。1年も経たないうちに、彼の11億ドルの個人資産はすべて消えてしまったのです。
一方、ビョルゴルフルの息子であるソール・ビョルゴルフソンは、2007~2008年の金融危機で同じく全財産を失いながらも、2015年には再び億万長者の座に返り咲きました。現在、アイスランドの億万長者は、ソールただひとりです。
アイケ・バティスタ
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ブラジル人実業家のアイケ・バティスタは、20年以上にわたって鉱山と石油の開発を行い、数百億ドルもの財産を築き、そして失いました。2011年に300億ドルの個人資産を所有していたバティスタは、世界の富豪ランキング8位となり、ブラジル国内ではもっとも裕福な人物でした。しかし、鉱業界が急落し、彼の所有する会社の中で最大規模だったOGX社が破綻したことで、億万長者としての彼の人生は終わりを迎えます。
2年後の2013年に、フォーブス誌は、アイケ・バティスタがたった1年で200億ドル近い資産を失ったと報道しました。多額の負債と会社の株式の下落は重なり、さらに1年後には、彼の個人資産は2億ドルからマイナスにまで落ち込みました。
2017年1月、アイク・バティスタは1億ドル規模のマネーロンダリング事件に関与した疑いで、ブラジル当局に逮捕されました。この事件は「Operation Car Wash(洗車場作戦)」と呼ばれ、南米史上最大の汚職事件として注目を集めました。