多くのアメリカ国民にとって、最初の月面着陸(1969年)は、宇宙飛行の歴史の中で最も印象的な瞬間として残っています。当時は、ソビエト連邦とアメリカが、自分たちの優位性を証明しようと躍起になっていた時代でした。この宇宙開発競争の中で、あることが起こっていたのですが、あまり知られていません。それは、NASAがアフリカ系アメリカ人を宇宙へ送り出そうとしたことです。
アメリカは人類初の月面着陸というレースには勝ったものの、黒人初の宇宙飛行士については成功しませんでした。ソビエト連邦は、アメリカの宇宙機関に3年の差をつけました。
1980年9月18日、アルナルド・タマヨ・メンデスは、ソビエトの宇宙飛行士とともにソユーズ宇宙船で宇宙へ飛び立ちました。メンデスは、アフリカの血を引く人物として初めて地球周回軌道に乗ったのです。一方、NASAは、1983年8月に黒人初の宇宙飛行士を宇宙に送り出しました。
現在、NASAの宇宙飛行士選考委員会には毎年、様々な経歴を持つ12,000人以上から宇宙飛行士への応募があります。そして、それぞれの候補者の資質を評価し、集中的な宇宙飛行士候補者プログラムに参加する数人の候補者を選びます。
この記事では、過去40年間に宇宙へ旅立ったアフリカ系の黒人宇宙飛行士をご紹介します。
14. メイ・ジェミソン〜黒人女性初の宇宙飛行士
日本のスペースラブ実験モジュールに搭乗するメイ・ジェミソン
ミッションの打ち上げ:1992年9月
宇宙滞在時間:7日22時間30分
1987年6月、メイ・ジェミソンはアフリカ系アメリカ人女性として初めて、NASAの宇宙飛行士養成プログラムに選抜されました。フロリダ州のケネディ宇宙センターとシャトルアビオニクス統合研究所で、複数のプロジェクトに携わりました。
1992年9月12日、STS-47ミッションで他の6人の宇宙飛行士とともにスペースシャトル・エンデバーでついに宇宙へ旅立ち、黒人女性として初の宇宙飛行士となりました。このミッションでは、主に生命科学と物質科学に関する実験を行いました。
彼女は190時間以上を宇宙で過ごし、地上に戻るまでに地球を127回周回しました。その功績が認められ、ジェミソンはジョンソン出版ブラック・アチーブメント・トレイルブレイザーズ賞(1992年)、レイチェル・カーソン賞(2005年)、バズ・オルドリン宇宙パイオニア賞(2017年)など、いくつかの賞を受賞しています。
13. ロナルド・マクネイア
ミッションの打ち上げ:1984年2月、1986年1月
宇宙滞在時間:7日23時間15分
ロナルド・マクネイアは、サウスカロライナ州の低所得者層に生まれ、優秀な成績で卒業し、レーザー物理学で博士号を取得しました。1978年、NASAの宇宙飛行士プログラムに8,000人の応募者の中から35人の1人として選ばれました。
1984年2月3日から11日まで、STS-41-B(NASAのスペースシャトルによる10回目のミッション)にミッションスペシャリストとして搭乗。このミッションでは、ヒューズ376通信衛星2基を配備し、音響浮遊実験と化学分離実験を行いました。
数年後、別のスペースシャトル・ミッション、STS 51-Lのミッションスペシャリストに選ばれました。1986年1月28日、ロケットは発射から1分13秒後に爆発し、搭乗していた7人の乗組員全員が死亡しました。
12. ロバート・サッチャー~初めて宇宙で活躍した整形外科医
STS-129ミッションに従事するロバート・サッチャー
ミッションの打ち上げ:2009年11月
宇宙滞在時間:10日19時間16分
ロバート・サッチャーは、エンジニアおよび外科医として2つの博士号を取得し、いくつかの栄誉ある賞を受賞しています。2004年にNASAに採用され、宇宙飛行士になるための訓練を受けました。訓練には、ISS【国際宇宙ステーション】のシステムに関する集中的な指導、技術的・科学的なブリーフィング、生理学的および原野でのサバイバル訓練が含まれます。
サッチャー博士は、STS-129(スペースシャトル31回目)でISSへ飛行しました。ミッション中、合計12時間19分にわたって2回の船外活動を行い、259時間以上の宇宙滞在を記録しました。
このミッションで乗組員は、ISSに電力を供給し、宇宙で適切な姿勢を保つための、約3万ポンド(約1,600kg)分のISSシステムの交換部品を届けました。
11. ジョアン・ヒギンボサム
ミッションの打ち上げ:2006年12月
宇宙滞在時間:12日20時間45分
1996年、NASAのジョンソン宇宙センターに入所。ケネディ宇宙センター運用支援部門とシャトルアビオニクス統合研究所で、打ち上げ前のISSの様々なモジュールの互換性、機能性、操作性を評価する技術的な任務を担当しました。
2006年、スペースシャトル・ディスカバリーのミッションSTS-116に7名の乗組員とともに搭乗。宇宙ステーションのリモート・マニピュレーター・システム【ロボットアーム】の運用を担当しました。この12日間のミッションで、308時間以上の宇宙滞在を記録しました。
2008年に打ち上げが予定されていた別のスペースシャトル・ミッションにも任命されましたが、民間企業でのキャリアを追求するため、NASAを退職しました。
10. バーナード・ハリス・ジュニア〜黒人初の宇宙飛行士として船外活動
ミッションの打ち上げ:1993年4月、1995年2月
宇宙滞在時間:18日06時間08分
バーナード・アンソニー・ハリス博士は、438時間以上、720万マイル以上の宇宙飛行を記録したベテラン宇宙飛行士です。2回のスペースシャトル飛行(STS-55とSTS-63)のうち、2回目の飛行でアフリカ系アメリカ人として初めて船外活動を実施しました。
STS-63ミッションでは、4時間39分の船外活動を行い、極寒の宇宙で宇宙飛行士を暖かく保つための宇宙服の機能を検証しました。
NASAに勤務している間、ハリスは筋骨格系の生理学に関する複数の研究や、宇宙適応の臨床的な調査を行いました。また、宇宙飛行士の宇宙での滞在時間を延ばすための機内医療機器を開発しました。
9. フレデリック・グレゴリー~アフリカ系アメリカ人として初めて宇宙飛行の指揮を執る
ミッションの打ち上げ:1985年4月、1989年11月、1991年11月
宇宙滞在時間:18日23時間04分
1941年に生まれたフレデリック・ドリュー・グレゴリーは、ワシントンDCで育ち、米国空軍士官学校で軍事工学の学士号を取得しました。この間、テストパイロットとして50種類以上の航空機に7,000時間乗務しています。
1978年、NASAの宇宙飛行士に選抜されます。1985年から1991年にかけて、STS-51B(パイロット)、STS-33、STS-44(宇宙船司令官)という3種類のスペースシャトル・ミッションで宇宙へ行きました。
また、NASA副長官や、2005年初頭の短期間、NASA長官代理を務めました。国家情報長官賞、国防高等役務章、16枚の空軍章、2枚のNASA卓越したリーダーシップ・メダルなどの栄誉を受けています。
8. リーランド・メルヴィン
ミッションの打ち上げ:2008年2月、2009年11月
宇宙滞在時間:23日13時間28分
1989年にNASAラングレー研究センターに入所し、非破壊評価のための高度な機器を開発するために、幅広い実験を行いました。1996年には、航空宇宙および民間の健康監視システムの開発のための高度なレーザー研究を可能にする光学式非破壊評価施設を設計しました。
STS-122とSTS-129の2回の宇宙飛行を経験し、565時間以上の宇宙滞在を記録しています。両ミッションともミッションスペシャリストとして活躍しました。最初のミッションでは、欧州宇宙機関(ESA)が開発した科学実験室「ヨーロッパ・コロンバス」を運搬しました。
2回目のミッションでは、大型のエクスプレス補給キャリア2基をISSに運び、ここには窒素タンク2基、アンモニアタンク1基、高圧ガスタンク、予備のジャイロスコープ2基、ポンプモジュール2基など、約3万ポンドの装置が搭載されていました。
7. マイケル・アンダーソン
スペースシャトル・コロンビアでのマイケル・アンダーソン
ミッションの打ち上げ:1998年1月、2003年1月
宇宙滞在時間:24日14時間35分
マイケル・フィリップ・アンダーソンは、1995年にNASAのジョンソン宇宙センターに入所しました。1年間の訓練と評価を受けた後、最初は宇宙飛行士室の飛行支援部門で技術的な責任を担っていました。
STS-89とSTS-107で飛行し、593時間以上の宇宙滞在を記録。STS-89のスペースシャトル・ミッションでは、ミッションスペシャリストとして、9,000ポンドを超える後方支援物資、科学機器、水を運搬しました。
STS-107のスペースシャトル・コロンビアでは、ペイロードコマンダー【実験運用責任者】を務めました。乗組員は80以上の科学実験を行いましたが、残念ながら、2003年2月1日、宇宙船は地球の大気圏に再突入する際に崩壊し、7人の宇宙飛行士全員が死亡しました。
最後の打ち上げを前に、アンダーソンは記者団にこう語りました。
「常に未知なるものがある」
6. ウィンストン・スコット~3回の船外活動を実施
画像出典:NASA
ミッションの打ち上げ:1996年1月、1997年11月
宇宙滞在時間:24日14時間35分
ウィンストン・エリオット・スコットは、25種類の民間機と軍用機で6,000時間以上の飛行時間を積み重ね、300回以上の船上着陸を経験しています。1992年、NASAのジョンソン宇宙センターで選抜されました。
2つのスペースシャトル計画STS-72とSTS-87にミッションスペシャリストとして参加。STS-72は9日間の飛行で、ISSの組み立てに使用されるハードウェアやツールをテストするため、7時間の船外活動を実施しました。
2回目のミッションでは、将来の宇宙ステーション組み立てに必要なツールや手順をテストするために、2回の船外活動を行いました。両方のミッションでは、3回、合計19時間26分の船外活動です。また、『Reflections From Earth Orbit【地球軌道からの反射】』という本を執筆し、宇宙での経験を紹介しました。
5. アルヴィン・ドリュー~船外活動を行った200人目の人物
STS-133ミッションに参加したアルヴィン・ドリューとニコール・ストット
ミッションの打ち上げ:2007年8月、2011年2月
宇宙滞在時間:28日08時間37分
アルヴィン・ドリューは、3,500時間以上の飛行経験を持つ最上級飛行士です。これまでに30種類の航空機を操縦してきました。2000年、NASAのミッションスペシャリストに選出され、2年間の訓練と評価の後、宇宙飛行士室ステーション運用課で技術的な職務を担当することになりました。
ドリューが携わってきたスペースシャトル・ミッションの1回目はSTS-118、2回目はSTS-133です。STS-118のミッションでは、ISSに2つのモジュールを追加し、乗組員への物資を運びました。
STS-133はスペースシャトル・ディスカバリーの最後の飛行で、ドリューはミッションスペシャリストとして2回の船外活動を行い、ISSのシステムをアップグレードするためのいくつかのタスクを完了しました。その際、船外活動を行った200人目の人物となったのです。
4. チャールズ・ボールデン~黒人として初めてのNASA長官
米海兵隊の勧誘イベントでのボールデン(1982年)
ミッションの打ち上げ:1986年1月、1990年4月、1992年3月、1994年2月
宇宙滞在時間:28日08時間37分
チャールズ・ボールデンは、1968年に海軍兵学校を卒業しましたが、黒人であるという理由だけで、入学には困難が伴いました。彼は若い頃から差別に直面してきたのです。2020年、彼はインタビューの中で人種差別について語り、次のように強調しました。
「アメリカにおける人種差別の組織的な問題は、今年や昨年、10年前に始まったことではありません。私たちの国が設立されたのが、こういうことなのです。」
ボールデンは1980年にNASAに選ばれ、その1年後に宇宙飛行士になりました。STS-61-CではSATCOM Kuバンド衛星を、STS-31ではハッブル宇宙望遠鏡をそれぞれ配備し、4回の宇宙飛行に従事しました。
STS-45とSTS-60では、船長を務めました。STS-60は初の米露合同ミッションで、ウェークシールド実験装置とスペースハブ・モジュールを軌道に乗せました。
2009年7月から2017年1月まで、ボールデンはNASA長官を務め、全米のチームを率いてアメリカの宇宙計画の使命と目標を推進しました。
3. ギオン・ブルーフォード~アフリカ系アメリカ人初の宇宙飛行士
1983年、STS-8でのブルーフォード
ミッションの打ち上げ:1983年8月、1985年10月、1991年4月、1992年12月
宇宙滞在時間:28日16時間33分
ギオン・ブルーフォードは、アフリカ系アメリカ人としては初めて、アフリカ系としては2番目に宇宙へ旅立った人物です。1979年にNASAの宇宙飛行士となり、スペースラブ3号実験、リモート・マニピュレーター・システム、スペースシャトルシステムなど、いくつかの技術任務に従事しました。
1983年から1992年にかけて、4回のスペースシャトル飛行に参加。最初のミッションは、8回目のNASAスペースシャトル・ミッションであるSTS-8で、乗組員は以下のような重要な任務を遂行しました。
・カナダのシャトル・リモート・マニピュレーター・システムのテスト
・INSAT【インドの静止衛星】の配備
・4つの「ゲットアウェイ・スペシャル」キャニスターの起動
・連続フロー電気泳動システム(CFLE)の運用(生きた細胞のサンプルを使用)
・宇宙飛行の生体生理学的影響を理解するための医学的分析の実施
ブルーフォードは、全米航空殿堂(2019年)、米国宇宙飛行士殿堂(2010年)、国際宇宙殿堂(1997年)に殿堂入りしました。
2. ロバート・カービーム~7回の船外活動を実施
ミッションの打ち上げ:1997年8月、2001年2月、2006年12月
宇宙滞在時間:37日14時間33分
ロバート・カービームは、1995年にNASAのジョンソン宇宙センターに入所しました。1年間の訓練の後、宇宙飛行士室のコンピュータサポート部門に配属されました。
1997年から2006年の間に3度、宇宙へ行きました。最初のミッションはSTS-85で、地球大気の調査、CRISTA-SPASペイロードの配備と回収、将来のISSミッションで使用するために開発されたハードウェアのテストなどを行いました。
2回目のスペースシャトル・ミッションであるSTS-98では、3回の船外活動を行い、ISSのモジュール「デスティニー」の組み立てを行いました。3回目のミッションであるSTS-116では、ISSの電気系統の配線を変更し、固着した太陽電池アレイを格納するために4回の船外活動を行いました。これにより、1回のミッションで4回の船外活動を実施した最初の人物となりました。
1. ステファニー・ウィルソン〜黒人女性2人目の宇宙飛行士
ミッションの打ち上げ:2006年7月、2007年10月、2010年4月
宇宙滞在時間:42日23時間46分
1996年にNASAの宇宙飛行士に選ばれたステファニー・ウィルソンは、2006年に最初のスペースシャトル・ミッションであるSTS-121に搭乗し、その後2007年と2010年にSTS-120とSTS-131のミッションに搭乗しました。彼女の1,032時間の宇宙滞在は、アフリカ系アメリカ人宇宙飛行士の中で最多です。
STS-121では、ISSへの28,000ポンド分の物資と機器の移送を担当しました。また、多目的補給モジュールの取り付けをサポートし、スペースシャトルの安全性を高めるための新しい手順のテストも行いました。
2回目のミッションでは、モジュール「ハーモニー」を運搬し、将来の組み立てミッションのためにISSの一部を再構成しました。STS-131では、ISSのロボットアームを使った船外活動を支援するために、ロボティクスを制御しました。また、6,000ポンドを超えるハードウェアを搭載したレオナルド多目的補給モジュールの設置も行いました。
ウィルソンは、その功績により、2005年にヤング・エクセレント・テキサス・エクセス賞、2006年、2007年、2010年にNASA宇宙飛行勲章、2009年、2011年にNASA功労勲章を受賞しています。
残念ながら選外となった宇宙飛行士
エド・ドワイト:黒人として初めて空軍の訓練課程に入学した人物。二次選考まで進んだものの、NASAに宇宙飛行士として選ばれませんでした。
ロバート・ヘンリー・ローレンス・ジュニア:最初の黒人宇宙飛行士となりましたが、1967年に飛行機事故で死亡しました。生きていれば、空軍の有人軌道実験計画で選ばれた宇宙飛行士の一人として、スペースシャトルに搭乗していたはずです。
ジャネット・エップス:アフリカ系アメリカ人女性としては初めて、宇宙飛行士が宇宙のような洞窟の環境で訓練を受ける宇宙飛行士養成コース「CAVES」に参加しました。2021年に打ち上げ予定のボーイング・スターライナー1号のミッションを任されています。
エップスはNASAの宇宙飛行士ジョシュ・カサダ、サニタ・ウィリアムズとともに、6カ月間の遠征を行うことになっています。彼女はISSに滞在する最初の黒人女性となるでしょう。
ヴィクター・グローバー:2013年に宇宙飛行士に選抜され、現在はSpaceX社のクルードラゴン宇宙船の認証後最初のミッションであるCrew-1に向けて訓練中です。SpaceX社と緊密に連携し、ISSへの往復クルー輸送サービスを提供する新しい宇宙船システムを構築しています。