前世紀以来、何千人もの人々が驚異的な建設工事に携わり、その命を犠牲にしてきました。現代において、工事中に重大な事故が発生し、死亡することも少なくありません。ほとんどの国では、安全規則に関して厳しい規制があります。
私たちは皆、過去の失敗から学びますが、これらの事故の中で唯一良かったのは、新しい安全基準を生み出したものがあったということです。この記事で紹介するプロジェクトは、労働条件による疾病、安全システムの不備など、死亡のすべての理由を含んでいます。それでは、歴史上最も死亡率の高い12の建設プロジェクトをご覧ください。
12. フォートペック・ダム
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1938年9月22日、一人の技師がダムの壁にいくつかの問題があることに気づきました。午後には、壁に亀裂が入り、貯蔵水エリアまで滑るようになりました。その日、現場では134人が働いていました。しばらくすると、ダム全体が滑り始め、20人ほどが巻き添えになったのです。
遺体のほとんどは回収されませんでした。この建設現場では、洪水以外でも、多くの人が犠牲になりました。この事故の原因は、非常に高い水圧であったことが報告されています。【米国モンタナ州北東部、ミズーリ川上流に位置するダム。高さ76メートル。1933年にニューディールの一環として建設が始まり、1940年に完成】
11. ウィローアイランド災害
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ウィローアイランド災害は、建設中の発電所の冷却塔が倒壊した事故です。1978年4月27日、コンクリート製冷却塔の落下により51名の作業員が死亡しました。当時、多くの火力発電所が建設されいた中のひとつであり、ウィローアイランド【米国ウェストバージニア州】にある1300メガワットの発電所の建物です。その日、冷却塔が高さ51メートルに達したところで、クレーンが塔に向かって落下しました。その結果、塔全体が倒壊し、作業員全員が死亡したのです。遺体の多くは、ポケットから見つかった書類によって身元が確認されました。
10. 世界貿易センタービル・ツインタワー
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ニューヨークのツインタワーは、1973年の開業当時、最も高いビルでした。それぞれ110階建てで、高さは526メートルと541メートル。安全性の低い建設現場で多くの作業員が死亡しました。建設現場の責任者は、死者数を60人と推定していましたが、この数については誰もが疑問を持っています。死者数の正確さについて、恐ろしいデータを出した匿名の情報源もあります。2001年9月11日、アルカイダが2機の飛行機をハイジャックし、両方のタワーを完全に破壊してしまいました。
9. グランドクーリー・ダム
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大規模ダムの建設には、爆発や高所での重労働がつきものです。グランドクーリー・ダムは、1933年から1942年にかけて、ワシントン州のコロンビア川沿いに建設されました。今では米国最大の発電用ダムとなっています。このダム建設のために、数百人の人々が犠牲となりました。正確な報告はありませんが、80人以上の死者が出たとする情報もあります。そのほとんどが、ダムからの落下による死亡でした。
8. フーバー・ダム
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コロラド川に建設されたフーバー・ダムは、ボルダーダム【当初の建設基地の地名にちなんで】としても知られています。1931年から1936年にかけて建設されました。このダムは、米国最大の貯水池を有しています。公式発表では、数千人の作業員が尽力し、プロジェクト全体で100人以上が命を落としたということです。当時、建設中に負傷し、その後キャンプで死亡した労働者も多かったようですが、記録には残されていません。
7. アスワン・ダム
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アスワン・ダムは、アスワン・ハイ・ダムとも呼ばれ、エジプトのナイル川に位置しています。洪水調節、発電、植林のための水を供給する目的で建設されました。ある資料によると、この建設には30万人以上の労働者が貢献し、約550人が建設中に命を落としたそうです。いずれも安全対策が不十分であったことが原因でした。現在、このダムは国の経済や成長に大きな影響を与えています。
6. カラコルム・ハイウェイ
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カラコルム・ハイウェイは、クンジュラブ峠を経て中国とパキスタンを結ぶ道路です。標高4693mで、世界で最も高い場所にある舗装された国際道路です。その過酷な環境から、「世界の八不思議」とも呼ばれています。1959年から1978年にかけての建設中、地滑りにより900人以上の死者を出したという報告も確認されています。
5. ホークネスト・トンネル
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ホークネスト・トンネル災害は、米国史上最悪の産業災害のひとつです。1927年、水力発電プロジェクトのために3000人の労働者がウェストバージニア州に派遣されました。建設中にシリカ【水晶、砂、瑪瑙などに結晶または非結晶の形で含まれる二酸化ケイ素】が発見され、鉄鋼の精製に使うため、シリカも採掘するようにとの指示が出されました。しかし、労働者には何の保護も与えられませんでした。確認された報告書では、死者は470人以上とされていますが、1000人以上とする別の情報源もあります。
4. アメリカ大陸横断鉄道
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1860年代、アメリカ合衆国政府はカウンシルブラフスからサンフランシスコまで1900マイル【約3058㎞】以上の鉄道路線を敷設することを決定しました。これは米国初の鉄道でしたが、後に危険なプロジェクトとなりました。建設中、何千人もの労働者が、安全が確保されないために命を落としたのです。労働者はすべて囚人か不法移民であったため、公式な死亡記録はありません。多くの未確認の報告では、死亡者数は1000〜1500人とされています。
3. 白海・バルト海運河
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白海・バルト海運河は、ロシアの白海とオネガ湖を結ぶ運河です。1931年から1933年にかけて建設されました。全長227kmですが、水深が3.5mと浅いため、利点は限られています。建設現場では12万6千人の労働者が強制労働させられ、そのうち約1万2千人が死亡したとする大まかな報告があるほか、2万5千人の死者が出たという非公式な報告もあります。労働者のほとんどが不法移民で、拷問、栄養失調、疫病などで死亡しました。
2. パナマ運河
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パナマ運河は、大西洋と太平洋を結ぶ全長77kmの運河です。歴史上最大の工学プロジェクトプロジェクトのひとつであり、また致命的な建設プロジェクトのひとつでもあります。1880年にフランスが建設を開始し、過酷な条件のために約2万5千人の労働者が亡くなりました。1904年には米国が工事を担当し、さらに5600人の労働者が病気と飢えで死亡しました。プロジェクトの全期間では、約3万600人の労働者が亡くなっています。現在、この運河はもう1レーン分建設中で、2016年に開通する予定です。
1. 泰緬鉄道建設
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泰緬鉄道(別名「死の鉄道」)は、ビルマ、タイ、バンコク、ラングーンを結ぶ全長415kmの鉄道路線です。第二次世界大戦中の1943年に建設されました。18万人以上のアジアの民間人労働者と6万人以上の捕虜が建設現場で強制労働をさせられました。このうち、約9万人の民間人と1万2千人以上の捕虜が、いくつかの理由で死亡しました。その理由のほとんどは、飢えと将校の残忍な行為でした。