爆弾は早くも1221年には中国の晋王朝で使用されていました。13世紀には「震天雷」として有名な火薬を詰めた鋳鉄砲が作られ、モンゴル人の日本侵攻の際に使用されました。
しかし、爆弾や爆発物の致命的な影響を世界的に目撃するのは、2つの世界大戦が初めてでした。原子力爆弾は言うまでもありません。見方を変えれば、爆弾は人類の歴史の貴重な一部です。よって、爆弾の本当に爆発的な事実についてここでは見ていきましょう。
26. 原子爆弾
画像提供: ロスアラモス国立研究所
原子爆弾の最初の実験は1945年にニューメキシコ州アラモゴードで実施されました。爆発は非常に明るく強烈だったので、50マイル離れた場所に住む、ジョージア・グリーンという盲目の女性でさえ彼女の兄弟に明るい閃光が何であるか尋ねたと言われています。
25. 海底に残された5千万個以上の爆弾類
第二次世界大戦のための5千万個以上の爆弾、発射体、起爆装置、カートリッジが北海とバルト海の海底に眠っています。当局は、弾薬の処分方法がないため、弾薬を除去しないことを選択しました。
24. 危険な衝撃波
爆弾処理の専門家は、対爆スーツが榴散弾を通すことはないため、通常榴散弾により死亡、負傷することはありません。危険なのは衝撃波です。
23. 圧外傷
圧外傷は、爆発によって体組織に発生する障害です。爆弾の衝撃波により体内で圧力変化が起こり、体器官が膨張して発生します。
22. 芸術品の年代測定
科学者と美術史家は偽造芸術品を識別する信頼できる方法を開発しました。芸術作品のセシウム137とストロンチウム90などの同位体レベルを測定することで、1945年より前に作成された芸術作品と1945年以降に作成された作品を区別できます。これらの同位体は自然発生しませんが、核爆発によって環境に放出されました。
21. 落雷による大爆発
1769年、現在のイタリアにあるブレシア市が落雷に見舞われました。不幸なことに、落雷は大きな火薬店を襲い、大爆発を引き起こし、3千人近くが死亡しました。
20.核爆発を利用した建設プロジェクト
70年代、エンジニアたちは核爆発を利用した建設プロジェクト支援を検討しました。
19. レプリカではなかった巨大爆弾
1958年、エンジニアたちはイギリス空軍司令部の近くで建設作業中に、第二次世界大戦で使用された最大の爆弾のレプリカを移動しなければならなかったのですが、後にレプリカではないことに気づきました。
18. ネバダ核実験場 カメラマンの危機
原子爆弾の爆発直前に、カメラマンの安全ゴーグルが裂けてしまいました。すぐに手で目を覆いましたが、閉じたまぶた越しにX線のように手の骨が見えたそうです。
17. 世界の核兵器保有数
米国とロシアは、世界の核兵器保有数の93%を占めています。しかし、両国の貯蔵核兵器は1980年代以来3分の2以上削減されています。全般的に、世界で核保有9カ国が合計15,375基の核兵器を保有しています。
16. ヘルゴラント島爆破
1947年4月18日、イギリス軍は「ブリティッシュ・バン」として知られるようになった爆破計画で北海のヘルゴラント島全体を破壊しようとしました。 4,000トン以上の余剰弾薬が島の周囲に配置され、爆破されました。広大な要塞が破壊されたものの、島は残りました。単一の爆破物では最大の爆発としてギネスブックに記載されています。
15. 南大西洋の閃光
Vela-5B衛星
過去60年間で、2千回以上の核実験による爆発があり、その中で、ヴェラ事件または南大西洋の閃光として知られる不思議な事件があります。1979年9月22日に南極のプリンスエドワード諸島の近くでアメリカのヴェラ衛星(IONDS)により、正体不明の「二重の閃光」が検出され、多くの人が核兵器由来のものだったと信じています。
事件を正当化するための様々な説があり、そのうちの1つは、閃光は核兵器由来であり、南アフリカとイスラエルの共同核実験の結果であるいうものです。
14. 米国とロシアの保有核弾頭
米国とロシアは、警戒態勢にある合計2581発の核弾頭を保有しています。これらの兵器の総爆発力は約1185メガトン(TNT換算の爆発力で11億8千5百万トン)です。これは、両国が30分(米国とロシア間のミサイルのおおよその飛行時間)未満で発射できることを意味します。
13. ゴールズボロ空軍機事故
1961年1月24日、2発の核爆弾を搭載した米国の爆撃機がノースカロライナ上空で墜落しました。 2発の核爆弾のうちの最初の爆弾は落下傘が展開しましたが、起爆装置が起動しませんでした。しかし、2発目はパラシュートの展開に失敗し、地面に叩きつけられ、地中深くまで沈みましたが、幸いなことに、爆発しませんでした。
12. ツァーリ・ボンバ
これまでに爆発した最も強力な核爆弾は、ツァーリ・ボンバ(爆弾の皇帝)またはソビエトRDS-220水素爆弾でした。ソビエト連邦によって実験され、50メガトンの収量があり、広島と長崎に投下された両方の核爆弾の合計エネルギーの1,570倍となります。
11. ゲイ爆弾
米空軍はかつて、敵部隊に女性の性フェロモンを投下し兵士同士を互いに引き付け合うようにさせる「ゲイ爆弾」の開発を模索していました。
10. ノースロップ・グラマンB-2スピリット
写真提供:arstechnica
米国空軍ステルス爆撃機ノースロップ・グラマンB-2スピリットは、一度に16発の核爆弾(B83)を搭載できます。それぞれの核爆弾は、広島に投下された爆弾の75倍の威力があります。
9. ウォール街爆破テロ
1920年9月16日、ニューヨーク市ウォール街の馬車で爆弾が爆発しましたが、これは9/11 同時多発テロまではニューヨーク市で最も致命的な大惨事でした。
8. 爆発物処理班
英国のブリストルでは、爆発物処理班が疑わしいと報告された箱を爆発させたことがあります。後に、不審な荷物や手荷物に遭遇した場合の対処方法についての説明が入った箱だったということがわかりました。
7. レイジードッグ
レイジードッグは、朝鮮戦争とベトナム戦争中に主に使用された小型、無誘導、非爆発性のエネルギー弾です。非爆発性ですが、落下中に巨大な運動エネルギーを生成し、地面にぶつかるとあらゆるものを貫通する可能性があります。
6. ベトナム戦争終結後の不発弾、地雷の影響
報告書と予測によれば、ベトナムが爆弾と地雷を国土から一掃するのにはさらに300年、約100億ドルの費用がかかるといいます。ベトナム政府が米国ベトナム退役軍人財団と協力して実施した別の報告によると、戦後の近年、ベトナムで1万人以上が死亡し、さらに1万2千人が負傷したことがわかりました。
5. ソンムの戦い6万ポンド爆弾
1916年、第一次世界大戦のフランスのソンムの戦いで、6万ポンドの爆発物が爆発しました。爆発は非常に大きかったので、はるかロンドンでも聞こえました。
4. コウモリ爆弾
冬眠したコウモリを収納したコウモリ爆弾容器
第二次世界大戦中に、米国はコウモリ爆弾と呼ばれる爆弾を開発しました。爆弾の形をした1000以上の区切りで構成され、各区画には、小型時限焼夷弾が取り付けた冬眠中のメキシコオヒキコウモリが入れられていました。コウモリ爆弾は都市上で展開し、小型時限爆弾を付けたコウモリが解放されることになっていました。時限爆弾は実際には焼夷弾であり、火災を起こす意図がありました。
3. マンハッタン計画
マンハッタン計画の6,000ドルという当初予算は、最終的に合計20億ドルに膨れ上がりました。当初、連邦政府は原子力研究に合計6,000ドルを供与しました。しかし、1942年初頭、米国は枢軸国との戦時下にあり、ドイツが独自のウラン爆弾に取り組んでいるという懸念が高まると、政府は積極的な関心を示し、プロジェクトのリソースの制限が撤廃されました。
2. ファットマン
ファットマンは、日本の長崎市で爆発した原子爆弾のコードネームですが、これは、J・ロバート・オッペンハイマーの教え子だったロバート・サーバーが明確な命名規則により名付けたものです。
1. 米国電力供給源
米国の電力の10%は、解体された原子爆弾から発電されています。興味深いのは、そのほとんどがロシア製であるということです。