現代における最も偉大な頭脳の持ち主のひとり、スティーヴン・ホーキング博士は2018年3月14日に亡くなりました。そして偶然にも、その日付は約140年前にアルバート・アインシュタインが生まれた日なのです。アインシュタインは次世代の研究者たちにインスピレーションを与えました。
多くの人にとってホーキング博士は、宇宙論に関する人類の理解に革命をもたらした科学者であっただけでなく、身体的な能力に関係なく、人々が望むことを達成する動機付けを与えた励みでもありました。
この記事では、スティーヴン・ホーキング博士について、あまり知られていない興味深い事実を紹介します。
15. 学校での成績は平凡だった
出典:NASA StarChild
ホーキング博士が学生時代に「アインシュタイン」と呼ばれていたことはご存知でしょうか。また、驚くことではありませんが、ホーキング博士は学生時代、あまり学業に熱心ではなかったことはご存じでしょうか。それでも、時が経つにつれ、物理学や数学といった学問に興味を示すようになったのです。
彼は有名な数学者ディクラン・タータから大きな影響を受けました。後に彼は、当時の自分の学習能力の低さを、自分の学校で使われていた進歩的な方法のせいにしています。
14. 医学の道に進ませたかった父
ホーキング博士の父フランク・ホーキングは医学の研究者でした。当時は数学の卒業生にはほとんど就職の機会がなかったため、息子に医学の道を歩ませたかったのです。また、自身の母校であるオックスフォード大学に進学させることも望んでいました。当時、この大学では数学は教えられていなかったため、ホーキング博士は物理学と化学を学ぶことを選びました。
13. オックスフォード大学のボートチームに参加
オックスフォード大学ボート部(2005年)
ホーキング博士の大学生活は孤独で退屈なものでしたが、第3学年の終了間際に一変しました。クラシック音楽とSFに興味を持つ男子学生として、瞬く間に人気を集めたのです。また、大学のボート部に操舵手として入部し、ボートの舵取りや調整業務を担当しました。ボート部に所属していたことは、彼の人気を高めるのに役立ったものの、学業には悪影響を及ぼしました。
12. 余命数年との宣告
頭部に装着したレーザーポインターで意思疎通を図るALS患者
彼は21歳のときにALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断されました。ルー・ゲーリック病としても知られるこの病気は、進行性の筋力低下を引き起こす極めてまれな神経疾患です。オックスフォード大学での最終学年のときに、彼は不器用さやその他の筋力障害を経験し始めました。
時間が経つにつれて病状は悪化し、やがて言語にも支障をきたすようになりました。1963年にこの病気が発覚したとき、医師たちは、彼の余命が2年程度だろうと予測していました。
11. 奉仕活動
彼が常に障害者のロールモデルであることは間違いありません。1990年代から、募金活動を含め、障害者に関する様々な取り組みに参加してきました。2000年には、障害者の権利に関する「障害に関する第3ミレニアム憲章」に参加しました。
その功績により、ホーキング博士は1999年、アメリカ物理学会からリリエンフェルト賞【ドイツの物理学者ユリウス・エドガー・リリエンフェルトにちなんで創設された】を授与されています。
10. コミュニケーションに様々な道具を使った
1970年代後半になると、彼の言葉は近しい家族しか理解できないレベルまで悪化し、やがて、コミュニケーションに技術的な助けを必要とするようになりました。初期の段階では、ホーキング博士は眉毛だけで会話をしていました。しかし、1986年頃には、スイッチ・アクセス・スキャンと呼ばれる技術を使ってコミュニケーションをとるようになりました。
1997年、インテルがスポンサーとなり、彼の車椅子の片腕に取り付けたタブレットと、頬の筋肉の動きを識別するために眼鏡に取り付けた赤外線システムで構成される、高度なコンピュータベースのコミュニケーション・システムが開発されました。
9. いつも宇宙に行きたがっていた
画像出典:NASA
ホーキング博士のこの浮遊している姿を覚えているでしょうか。これは宇宙ではないのです。2006年、BBCのインタビューでホーキング博士は、自身の最大の願望のひとつが宇宙旅行であることを明かしました。それを聞いた億万長者でヴァージン・グループのオーナーであるリチャード・ブランソンは、ホーキング博士にヴァージン・ギャラクティック社による特別無料宇宙飛行を提案しました。
2007年4月26日、宇宙空間で自分の身体がどのような反応を示すかを試すため、ホーキング博士はゼロ・グラヴィティ・コーポレーションが運営する特殊な航空機に乗り込み、無重力状態を体験しました。テスト飛行の成功後、ホーキング博士の宇宙への旅は2009年までに開始される予定でしたが、亡くなる前に宇宙への商業飛行が開始されることはありませんでした。
8. 「哲学は死んだ」と世界に語った
2011年、ホーキング博士はGoogleが毎年開催しているツァイトガイスト会議で講演し、「哲学は死んだ」と語りました。自然に関する根本的な疑問は、観測所から得られる確たる証拠なしには解決できないと語ったのです。我々はどこから来たのか?なぜ我々はここにいるのか?これらは哲学的な問いでしたが、今はそうではありません。
「哲学者は科学の近代的発展に追いついていない」が、その一方で「科学者は人類の知識の探求において発見の灯火を運ぶ者となっている」。「新しい科学理論が、私たちを新しい宇宙像へと導いているのだ」、と彼は付け加えました。
7. ソーン・ホーキング・プレスキルの賭け
ブラックホール降着円盤
画像出典:NASA
1997年、ホーキング博士はノーベル物理学賞受賞者のキップ・ソーンと共に、理論物理学者のジョン・プレスキルと「ブラックホール情報のパラドックス」の結果について賭けをしました。勝ったほうは自分の好きな百科事典をもらえるというものでした。2004年、ホーキング博士はブラックホールの水平線から情報が漏れるはずだと考えていることを認めました。そして彼はプレスキルに『トータル・ベースボール』(究極の野球百科事典)を贈ったのです。
6. ヒッグス粒子発見で100ドルを失う
ホーキング博士は、ヒッグス粒子【宇宙が誕生して間もない頃、他の素粒子に質量を与えたとされる粒子】の発見に反対する賭けをしました。彼はそのような粒子は決して発見されないと主張しましたが、これは彼一人の主張ではありませんでした。このような粒子の存在は、1960年代にイギリスの物理学者ピーター・ヒッグスによって初めて示唆されました。
2002年、そして2008年にも、ホーキング博士とピーター・ヒッグスは激しい公開討論を繰り広げ、ヒッグスはホーキング博士を「彼の地位は他の者と違って即座に信用を与える」と非難しました。2012年にヒッグス粒子が欧州原子核研究機構の科学者によって発見されると、ホーキング博士は賭けに負けたことを認め、「ヒッグスはノーベル賞を受賞すべきだ」と述べました。
5. 数々の賞を受賞
ボドリー・メダルを受賞したホーキング博士とアッテンボロー(写真右)
画像出典:オックスフォード大学ボドリアン図書館
ホーキング博士は、1966年に「特異点と時空の幾何学」に関する画期的な論文を発表し、最初の賞を受賞しました。ほぼ10年後の1975年には、エディントン・メダル【イギリスの王立天文学会が理論天文学の分野で業績のあった研究者に贈る賞】とピウス11世ゴールド・メダル【教皇庁科学アカデミーが45歳未満の有望な科学者に隔年で授与する賞】を受賞し、翌年にはさらに2つの名誉ある賞を受賞しました。
1976年から2015年まで、科学分野での貢献が認められ、1988年のウルフ賞【その年に優れた業績をあげた科学者、芸術家に与えられる賞】、2012年のブレークスルー賞(基礎物理学部門)など、約20の賞やメダルを受賞しています。
4. 子供向けの小説本を書いた
これは最も意外なことのひとつかもしれません。2007年から2016年にかけて、ホーキング博士は娘でジャーナリスト兼小説家のルーシー・ホーキング博士とともに、子供向けの小説を5冊書いたのです。もちろん、原子、月、惑星、ブラックホールといった概念を説明するための本です。
3. 人類の未来についての見解
2006年、ホーキング博士はインターネットに公開質問を投稿しました。「政治的、社会的、環境的に混沌としている世界で、人類はあと100年、どのように生き延びることができるでしょうか?」という質問です。Webサイトに掲載されると、返信の嵐が押し寄せました。彼は後に、答えがわからないから質問したのだと釈明しました。
彼は何年も前から、高度に発達したウイルスや地球温暖化、核戦争、あるいはまだ発見されていないその他の危険なものによって、私たちが知っている地球上の生命が危険にさらされていることを懸念していました。しかし、もし人類がすぐに他の惑星を植民地化することができれば、そのような大災害が人類の存続を脅かすことはないだろう、と述べています。
2. 人工知能に対する見方
ホーキング博士によれば、人工知能は地球上の人類の運命を左右する重要な役割を果たす可能性があり、超知的なAIの誕生は人類史上最大の出来事となるが、それに伴う危険を回避することを学ばなければ、最後の出来事にもなりかねない、ということです。
彼は、コンピュータウイルスは新たな生命体として扱われるべきだと考えていました。「これは人間の本性について重要なことを語っている。これまでに私たちが創造した他の生命体は純粋に破壊的なものだけだということだ」と主張しました。
1. 宇宙人の存在を信じていた
画像出典:NASA
ホーキング博士は宇宙に宇宙人が存在すると信じていました。彼によれば、宇宙は広大であるため、宇宙人が存在する可能性はあるものの、我々は彼らとの接触を避けるべきだということです。技術的に進歩した優れた生命体が地球から資源を略奪し、吸い尽くすかもしれないと警告していました。そのような状況を、コロンブスが偶然発見したアメリカ大陸の発見と比較したのです。