科学の分野というと、どことなく優秀な男性の分野というイメージがありますが、中世以前も中世以降の時代においても女性科学者の重要な貢献を見過ごすことはできません。歴史に残るそういった貢献の中には、同時代の男性の貢献を凌駕するものさえあるのです。
最も優秀な女性科学者といえば、あなたは最初に誰を思い浮かべますか? マリー・キュリーでしょうか? もちろん、彼女は女性として初めて、しかも二度もノーベル賞を受賞しています。しかし、本当に一人か二人の女性科学者だけが卓越していて、他の人はそうではないということなのでしょうか。
実際には、科学界には様々な分野で重要な発見をした女性がたくさんいるのです。この記事では、その頭脳で世界を変えた、史上最も優秀な女性科学者を紹介します。
(なお、参考までに各文末の【 】内に生年と没年を訳者が補記しました)
18. シャーリー・アン・ジャクソン
シャーリー・ジャクソンとバラク・オバマ元米国大統領
シャーリー・ジャクソンは、アフリカの血を引く女性として初めてMIT【マサチューセッツ工科大学】で博士号を取得し、全米で二人目の物理学博士となった、高く評価されている米国の物理学者です。MITで素粒子の研究を終えた後、フェルミ国立加速器研究所で最初の仕事に就きました。
その後、米国有数の科学研究会社であるAT&Tベル研究所(現ノキア・ベル研究所)で、2次元物性系をはじめとする様々な物質の研究を行いました。現在は、名門レンセラー工科大学の学長を務めています。
【1946年~】
17. エスター・レダーバーグ
エスター・レダーバーグは米国の微生物学者で、細菌の遺伝学への貢献で知られています。彼女の最も顕著な発見は、ラムダファージウイルス、特殊な形質導入による細菌間の遺伝子伝達、そして細菌性繁殖因子Fの発見です。レダーバーグは、科学者としての全経歴を通して、単独で十数の研究論文を執筆したほか、20数本の共同研究を行いました。
【1922年~2006年】
16. エミリー・デュ・シャトレ
画家モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥールによる肖像画
エミリー・デュ・シャトレは、18世紀のフランスにおいて、数学と物理学の分野で多大な貢献をした博識家です。シャトレの最も重要な功績は、ニュートンの名著『自然哲学の数学的諸原理』のフランス語訳と、彼女自身による解説です。この翻訳版は現在も使われています。
また、1737年に発表した『【自然および火の伝播に関する】論文』の中で、赤外線の放射を初めて予言しました。『自然哲学の数学的諸原理』の他にも『ミツバチの寓話』などの名著を翻訳し、女性の教育にも力を注ぎました。
【1706年~1749年】
15. カロライン・ハーシェル
カロライン・ハーシェル
カロライン・ハーシェルはドイツの初期の天文学者の一人で、エンケ彗星や35P/ハーシェル・リゴレ彗星など、少なくとも5種類の彗星を発見したことで知られています。天王星を発見した天文学者ウィリアム・ハーシェルの妹です。
1828年、彼女は女性として初めて英王立天文学会のゴールドメダルを受賞し、その数年後には英王立天文学会の名誉会員に選ばれました。1846年にはプロイセン国王からゴールドメダルを授与されるなど、天文学者としてのキャリアを通して多くの賞を受賞しました。
【1750年~1848年】
14. マリア・ミッチェル
マリア・ミッチェル
ミッチェルは米国で初めて天文学を職業とした女性であり、1847年に望遠鏡を使って彗星を発見しました。この彗星は現在「ミッチェルの彗星」またはC/1847 T1として知られています。これが彼女の天文学者としてのキャリアの始まりでした。1868年、ミッチェルは太陽の位置のカタログを作成し始め、1873年には比較的精密な太陽の写真を撮ることができるようになりました。
これらは、太陽の周期的な画像としては最も初期のものとして知られており、最終的に彼女は、黒点は雲ではなく、太陽表面の空洞であるという仮説を打ち立てることができました。マサチューセッツ州ナンタケットにあるマリア・ミッチェル天文台は、彼女の死から9年後、彼女に敬意を表して命名されました。
【1818年~1889年】
13. ジェーン・グドール
ジェーン・グドール博士、ローズボウルのパレードのグランド・マーシャルにて
ジェーン・グドールは、チンパンジーに関する世界最高の専門家として知られている、英国の著名な民族学者・人類学者です。幼い頃、父親が買い与えたチンパンジーのぬいぐるみがきっかけで、大の動物好きになりました。23歳のとき、グドールはその豊かな愛情と好奇心から、アフリカの大自然の中に身を置きました。
その地で、ケニアの著名な古生物学者ルイス・リーキーと出会います。1958年、彼はグドールをケンブリッジ大学に送り、民族学の博士号を取得させました。ここで彼女は、大学院の学位なしに博士号を取得することを許された、米国史上8人目の学生となりました。
最も有名な研究は、50年以上にわたる野生のチンパンジーの社会的、家族的相互作用に関するものです。
【1934年~】
12. リタ・レヴィ=モンタルチーニ
リタ・レヴィ・モンタルチーニは、イタリアの神経学者であり、同僚のスタンリー・コーエンと共同でのNGF(神経成長因子)発見によりノーベル賞を受賞したことで知られています。1966年から2012年に亡くなるまで、1986年のノーベル賞をはじめ、10以上の賞を受賞しました。92歳のときに、カルロ・アゼリオ・チャンピ前イタリア大統領からイタリア上院の議員に任命されました。
ちなみに、103歳で亡くなった彼女は、ノーベル賞受賞者の中で最も長生きしました。
【1909年~2012年】
11. エミー・ネーター
1930年当時のエミー・ネーター
エミー・ネーターは、理論物理学と数学における比類なき貢献で広く知られています。彼女は1882年に、ドイツのエルランゲンという町で数学者の家庭に生まれました。ご存知のように、その時代、学問の世界では女性はほとんど無視されており、ネーターもまた、無給で認知されずに毎年働き続け、大きな苦しみを味わいました。
数学の分野では、可換環論の基礎を築き、抽象代数学の分野に多大な貢献をしました。物理学では、「ネーターの定理」が現代の理論物理学の形成に重要な役割を果たしました。彼女の貢献は、アルベルト・アインシュタイン、ジャン・ディウドネ、ヘルマン・ヴァイルといった人々にも高く評価されていました。数学界で最も重要な女性の一人であることに間違いありません。
【1882年~1935年】
10. ネッティー・スティーブンス
ネッティー・スティーブンス
ネッティー・スティーブンスは、教育や看護などの分野でまだ女性が活躍できる場が少なかった米国に生まれました。卒業時には学校で教鞭をとっていましたが、さらなる高等教育を受ける意欲を止めることはできませんでした。
1900年にスタンフォード大学で修士号を、ブリンモア大学で博士号を取得した後、39歳で研究者としてのキャリアをスタートさせました。昆虫の染色体を分析し、XY性決定方式を考え出しました。昆虫の精子に含まれる染色体は、短いものと長いものの2種類があることを発見したのです。
長い染色体の精子が卵子を受精させると、それらはメス(子種)を産み、小さな染色体の精子はオスを産みました。このようなパターンは、人間や他の哺乳類、昆虫などでも観察されるものです。
【1861年~1912年】
9. イレーヌ・ジョリオ=キュリー
イレーヌとマリー・キュリー、1925年
イレーヌ・ジョリオ=キュリーは、マリー・キュリーとピエール・キュリーの長女としてフランスに生まれ育ちました。両親の後を継ぎ、1935年に人工放射能の発見で夫とともにノーベル賞を受賞しました。
1924年に博士号を取得すると、後に夫となるフレデリック・ジョリオとともに、様々な放射化学の研究を行うようになりました。そして1934年、それまで安定だった元素が、特定の放射線を浴びることで放射性を持つようになる「誘導放射能」の画期的な発見をしたのです。このノーベル賞の受賞により、キュリー夫妻は史上初のノーベル賞受賞一家となりました。
【1897年~1956年】
8. バーバラ・マクリントック
画像提供:スミソニアン協会アーカイブ(SIA)
バーバラ・マクリントックは、1927年に植物学の博士号を取得した後、1927年にコーネル大学でトウモロコシの細胞遺伝学の開発を中心に研究活動を開始しました。彼女はトウモロコシの染色体の特徴と生殖時の反応を広範囲に研究しました。1940年代から1950年代にかけて、入念な顕微鏡分析により、彼女はトウモロコシの基本構造に関するいくつかのアイデアを生み出すことができました。
そのひとつが、減数分裂の際に染色体が情報を交換するプロセスである交叉による遺伝子の組み換えでした。トウモロコシの遺伝的構造に関する彼女の研究は、1970年代初頭になって大規模に研究され、理解されました。1983年にはノーベル賞を受賞しました。
【1902年~1992年】
7. ガートルード・B・エリオン
1988年、ジョージ・ヒッチングスとガートルード・エリオン
画像提供:Wellcomecollection.org
ガートルード・B・エリオンは、当時の米国を代表する生化学者の一人で、1988年にジョージ・H・ヒッチングス、サー・ジェームズ・ブラックとともにノーベル生理学・医学賞を受賞しました。ヒッチングス、ブラックとともに、AZT(エイズ治療薬)や最初の免疫抑制剤であるアザチオプリンなど、命を救う様々な重要な医薬品を発見したのです。
ノーベル賞の他にも、1991年に米国科学メダル、1968年にガーバン・オリン・メダル、1997年にレメルソンMIT生涯功労賞などの賞を受賞しています。
【1918年~1999年】
6. 呉健雄(ウー チェンシュン)
コロンビア大学での呉健雄
中国生まれの呉健雄は、実験物理学の世界では、常に最も明るくカリスマ的な人物の一人であり続けるでしょう。彼女の最も重要な貢献である「ウーの実験」は、パリティの保存が電磁相互作用と強い相互作用だけでなく、弱い相互作用にも適用されることを確立しました。
この発見は、素粒子物理学の標準模型を発展させる大きな要因となったのです。この実験の成功により、同僚の楊振寧と李政道は1957年にノーベル賞を受賞したのですが、呉健雄の業績は1978年まで評価されることはありませんでした。
【1912年~1997年】
5. ドロシー・ホジキン
画像提供:nobelprize.org
ドロシー・ホジキンは、1964年にノーベル化学賞を受賞した著名な英国人科学者です。ケンブリッジ大学ニューナムカレッジにおいてジョン・デズモンドのもとで研究生活を始めました。ここで彼女は、ペプシンの実験を行いながら、タンパク質の構造を決定するX線結晶学の可能性を探りました。
博士号を取得した後、再びオックスフォード大学に戻り、そこで卒業しました。なお、オックスフォード大学のサマーヴィル・カレッジ時代に彼女が指導していた学生の中には、イギリスの「鉄の女」ことマーガレット・サッチャー元英国首相がいました。
【1910年~1994年】
4. エイダ・ラブレス
エイダ・ラブレスの肖像画(水彩)
あなたはプログラミングに興味はありますか? そうであれば、オーガスタ・エイダ・ラブレスが歴史上最初のコンピュータ・プログラマーであることをご存じでしょう。彼女はどうやってプログラマーになったのでしょう? 1833年6月、ラブレスは共通の友人メアリー・サマーヴィルを通じて数学者チャールズ・バベッジと出会いました。その月の終わりに、バベッジは彼女を階差機関のプロトタイプの立会いに招待しました。
その時、彼女はバベッジの機械が単なる汎用計算機ではなく、もっと多くの機能を持っていることに気づき、そのような機械で処理するために特別に実行された史上初のアルゴリズムを構築したのです。
【1815年~1852年】
3. ジョスリン・ベル・バーネル
1967年当時のジョスリン・ベル・バーネル
ジョスリン・ベル・バーネルは、天文学の分野で最も高く評価されている人物の一人です。1965年にグラスゴー大学を卒業した後、ケンブリッジ大学に入学し、博士号を取得しました。ここでは、博士課程の指導教官であったアントニー・ヒューイッシュのもとで研究を行いました。この大学院生時代に、史上初の電波パルサーを発見したのです。
この発見は宇宙物理学の分野では画期的なもので、アントニー・ヒューイッシュは同じ電波天文学者のマーティン・ライルとともにノーベル賞を受賞しましたが、ジョスリンは受賞から外れました。今日に至るまで、この決定はノーベル賞の歴史の中で最も議論を呼ぶもののひとつとなっています。
2013年2月、BBCのラジオマガジン番組『女性の時間』は、ベルを英国で最もパワフルな女性100人の一人に選出しました。翌年には、エジンバラ王立協会の全歴史上初の女性会長に選出されています。
【1943年~】
2. リーゼ・マイトナー
リーゼ・マイトナーは電波物理学のパイオニアであり、核分裂の発見で最も知られています。1905年、彼女は二人目の女性としてウィーン大学物理学博士号を取得しました。また、ベルリン大学では初の女性物理学教授となりました。1938年には、ドイツの化学者・物理学者オットー・ハーンとともに、ウランとトリウムの核分裂を発見しました。
【1878年~1968年】
1. ロザリンド・フランクリン
1950年当時のロザリンド・フランクリン
画像提供:Vittoria Luzzati/NPG
ロザリンド・フランクリンは、1938年、ケンブリッジ大学で優秀な成績を収め、卒業後に高度な学問的キャリアをスタートさせました。ここで彼女は、分光学者のビル・プライスやノーベル賞受賞者のロナルド・ノリッシュなど、著名な科学者たちと出会い、彼らのもとで研究を行いました。
彼女の科学への最大の貢献は、DNAサンプルのX線回折画像であり、これが後にDNA二重らせんの重要な発見へとつながったのです。この発見に関わったジェームズ・ワトソン、フランシス・クリック、モーリス・ウィルキンスの3人の科学者は1962年にノーベル賞を受賞したのですが、彼女にとっても科学にとっても大変残念なことに、彼女が生涯ノーベル賞を受賞することはありませんでした。
【1920年~1958年】