・電球が発明される過程にはたくさんの科学者が関わっていて、その裏にはとても複雑なストーリーがあった。
・トーマス・エジソンは電球の発明に関して重要な人物であるが、実際に電球を発明したのはエジソンではなかった。
・電球の発明に最も成果を残したのは、ジョセフ・ウィルソン・スワン、ヘンリー・ウッドワード、マシュー・エヴァンスという3人の科学者だった。
—もしあなたがこの記事を家のリビングや図書館で読んでいるのなら、一度視線を少し上にあげてみてください。過去の偉大な発明品を見つけることができるかもしれません。
そう、それは「電球」です。
あなたは学校で、「白熱電球を発明したのはトーマス・エジソンである」と教えられてきませんでしたか?私たちの教科書には、「1879年の10月、エジソンが最初の試作的な電球を生み出した」と書かれていました。これ、実は違うんです!
そしてあなたがこの記事をすべて読み終わったとき、こんなことを感じるかもしれません。
この革命的な発明に関して、エジソンがすべての名声を手に入れるのは少し不公平だと。
なぜならエジソンは、白熱電球を発明しようと試みた唯一の人物でも、白熱電球の発明に初めて成功した人物でもないからです。実際には、世界のいたるところに同じようなアイデアを持ち、それぞれ特許を取得しようとしていた科学者たちがなんと、20人もいたんです!
白熱電球を考えついたのは一体誰?
実はこれはものすごく複雑な問題で、これについて一言で答えることはできないんです。
不可能に近かったこの発明の始まりは、電球が初めて製品化された1879年よりも前にさかのぼります。この物語を分かりやすく理解するために、電球の発明に関する大まかな出来事を順番に並べて見ていきましょう。
1761年:Ebenezer Kinnersley(エビニーザー・キナーズリー)が初めて、ワイヤーは高い温度で熱せられると白い光を発することを発表した。
1802年:Humphry Davy (ハンフリー・デイビー) が目の細かい金網に電流を流すことによって白い光を発生させることに成功。彼はそのために2,000セルから成る電池を使用した。ただ、その光は明かりとして使用するには暗すぎた上に、長い時間持続させることはできないという問題点があった。
1835年:James Bowman Lindsay(ジェームズ・ボウマン・リンゼイ)が安定して明かりを灯すことができる電球を発明する。これは電球から45㎝離れた位置でも人が本を読むことができる明るさであったという。ただし彼が発明した電球は従来のものと同じデザインであった。
1838年:Marcellin Jobard(マルセリン・ジョバード)が炭素からできたフィラメント(電球の中にある細い線)を使って、小さな真空空間に白熱電球を創り出すことに成功した。
1840年:Warren de la Rue(ウォーレン・デ・ラ・ルー)が真空管の中でプラチナを巻き付けたフィラメントに電流を流すことに成功した。このアイデアはとてもうまくいったのだが、プラチナがとても高価であったために製品化するには至らなかった。
1841年:Frederick de Moleyns(フレデリック・デ・モリンズ)が初の白熱電球(金属製のワイヤーから成るバキュームランプ)の特許の取得を認められる。
1845年: John W. Starr(ジョン・W・スター)が白熱電球を作るため、カーボン製のフィラメントを使った。彼はこの研究で特許を取得したが、その一年後に亡くなり、彼の研究結果が日の目を見ることはなかった。
1859年: Moses Gerrish Farmer(モーゼス・ジェリッシュ・ファーマー)がプラチナ製のフィラメントを使って電気式の白熱電球を創り出した。その数年後、エジソンが彼の特許技術を有償で獲得した。
1872年: Alexander Lodygin(アレクサンダー・ロディジン)が白熱電球を作るために、二本のカーボン製のロッド(ガラスの中に密閉された線)を使った。窒素を充満させたガラスの中で、電流を一本目のロッドからもう一方のロッドに流すことに成功した。彼はタングステン(元素記号;W)、モリブデン(Mo)、クロム(Cr)など、従来とは異なるフィラメントを使用したことによって特許を取得した。
1874年: Henry Woodward (ヘンリー・ウッドワード)とMathew Evans(マシュー・エヴァンス)がカーボン製のロッドを、窒素を充満させた円筒形のガラスの中に固定するという手法を用いて電球を完成させた。しかし彼らはその電球を製品化することができなかったため、1879年にエジソンにその特許を売り渡した。
1878年: Joseph Wilson Swan (ジョセフ・ウィルソン・スワン)は1850年から彼独自の方法で白熱電球の研究をしていた。1870年により優れた真空ポンプが登場したことで、スワンの研究はより良い方向へと進んだ。彼は真空ガラスの中を綿でできた糸で囲み、従来の電球が抱えていたガラス内部に硝煙が付着するという問題を解決した。これによって電球の寿命を13.5時間に増加させ、1880年に英国特許を取得した。
エジソンは何をした?
ここまでの年表を見て、じゃあエジソンが何をしたのか気になりますよね。
エジソンは科学者たちが発見した数々の既存のアイデアを基に、数々の流通システムや組織に向けてそれを広めました。
1878年から彼は、より実用的な白熱電球の開発に取り組み始めます。まず初めに、従来の電球の設計を改善するため、金属製フィラメントに代わる別の材料を探し始めました。1879年、導電体に接続したカーボンフィラメントとストリップコイルを使用したランプについて、米国特許を申請しました。
1878年から1880年の2年間に渡り、エジソンは研究チームを率いて3,000以上もの設計について厳密なテストを行いました。そのあと彼は6,000以上もの植物を研究した実績を持つエンジニアたちを雇って、ついに最も長い時間燃え続ける炭素-“a carbonized bamboo(炭化竹)”を発見したんです。これを用いることによって、電球の光を1,200時間以上保つことに成功し、電球を製品化するのに十分な機能を得ました。
1880年にはEdison Electric Light Company(エジソン・エレクトリック・ライト・カンパニー)が新製品として電球の販売を開始、これが記念すべき市販の電球の始まりでした。
それと同じ時期に、ジョセフ・ウィルソン・スワンも電球のデザインについて研究を進めており、イギリスに電気照明会社を設立。その後、エジソンと協力して後に世界最大の電球メーカーとなる“Edison & Swan United Electric Light Company(エジソン&スワン・ユナイテッド・エレクトリック・カンパニー)”を設立しました。
同年(1880年)、エジソンはアメリカの金融家で銀行家でもあるJ.P Morgan(J.Pモーガン)から資金提供を受け、ニューヨークに“the Edison Electric Illuminating Company(エジソン・エレクトリック・イルミネイティング・カンパニー)”(以下:エジソン電気)を設立しました。同社は新たに開発された電球に、電力を供給するために発電ステーションの開発にも成功しています。
エジソン電気はこの後、Albon Man(アルボン・マン)とWilliam Sawyer(ウィリアム・ソーヤー)という二人の発明家の会社と合併することとなり、現在アメリカ最大規模の総合電機メーカーともいわれている“General Electric(ゼネラル・エレクトリック)”を設立しました。2018年、ゼネラル・エレクトリックは米国企業500社をそれぞれの総収入によってリスト化している“The Fortune 500”に選出され、総収益で米国第18位の企業としてランクインしています。
いかがでしたでしょうか。
エジソンが時代を切り開いた偉大な人物であるということに間違いはありません。
エジソンは電球を発明したわけではありませんでしたが、何百時間も光を灯し続けることができる電球は、彼がいなければ存在し得なかったかもしれないですね。また、エジソンがいなければ、多くの科学者たちの研究は人々のもとには普及されずに終わっていたかもしれません。