どんなにテクノロジーが発達しても、どんなに自然の法則を熟知しても、私たちは常に母なる自然に翻弄されます。自然災害による死者は年間平均約6万人。世界全体の死者数の約0.1%を占めているのです。
地震や洪水の方がはるかに致命的だと考えられていますが、竜巻も同様に壊滅的な被害をもたらし、生命を脅かすことがあります。近年の記録史上、最も致命的な竜巻も発生しています。
竜巻は高速で回転する空気の渦で、その一端は雲(通常は積乱雲)に、もう一端はその下の地表でつながっています。米国では毎年約1,200の竜巻が発生しており、これは世界のどの国よりも多い数です。
竜巻はどのように測定されるのか?
竜巻の強度は通常、竜巻がもたらした被害によって測定されます。リモートセンシング技術によるリアルタイムの測定も可能ですが、大規模な利用には十分ではありません。
最も広く使われている竜巻強度評価システムは「藤田スケール」で、F0からF5までの6つのカテゴリーがあります。風速と全壊レベルに基づいて、竜巻はこの6つのカテゴリーのいずれかに分類されます。米国とカナダでは、藤田スケールは改良したものに置き換えられています。
藤田スケールとよく似たTORROスケールも竜巻の深刻度を測るために使用されますが、これはイギリスでのみ使用されています。この記事で紹介するのは、歴史上最も甚大な被害をもたらした12の竜巻です。
12. エイメットとパービスの竜巻
パービス公立図書館前に設置された1908年の竜巻を追悼する標柱
画像出典:Wikimedia Commons
強度:F5
エイメットとパービスの竜巻は、米国中西部と南部の11の州に影響を与えた壊滅的なディキシー竜巻発生の一部でした。この竜巻は1908年4月24日にルイジアナ州リビングストン郊外で発生しました。
最初にミシシッピ州エイメットを襲い、29人が死亡、ほとんどの高層建築物が倒壊しました。同州パービスでは死者55人に達しました。米国史上8番目に死者の多い竜巻となりました。
11. ジョプリン竜巻
竜巻に襲われたセント・ジョン・ホプキンス病院
画像出典:Wikimedia Commons
強度:EF5(改良藤田スケール)
死者総数:158人
被害額:28億ドル
大惨事となったジョプリン竜巻は、2011年5月下旬にジョプリン市(ミズーリ州)の半分以上を破壊した多重渦竜巻です。より大規模な竜巻発生の一部でした。
ピーク時の竜巻の幅は約1.6kmで、最も破壊的でした。この竜巻の特異な点は、大きさも強さも急速に拡大したことです。ジョプリンだけでなく、ジャスパー郡やニュートン郡で約7,000棟の建物を破壊し、そのほとんどが住宅でした。
ジョプリン竜巻は、28億ドルの被害をもたらし、全米史上最も被害が大きく、7番目に死者数の多い竜巻となりました。
10. グレイジャー・ヒギンズ・ウッドワード竜巻
強度:F5
死者総数:181人
1947年4月9日、グレイジャー・ヒギンズ・ウッドワード竜巻は、テキサス、オクラホマ、カンザスの3州を襲った1つの竜巻スーパーセル【発達した回転する巨大積乱雲】の一部でした。最初の竜巻はテキサス州のホワイトディアの町付近で発生しました。ヒギンズ市に到達する前に、カナディアンとグレイジャーの小さな町を破壊しました。テキサス州だけで60人以上が死亡しました。
その後、このスーパーセルはオクラホマ州とカンザス州の一部へと移動し、途中のほとんどすべてを破壊したのです。オクラホマ州ウッドワードでは約107人が死亡しています。
9. ゲインズビル竜巻
強度:F4
死者総数:約203人
被害額:1,300万ドル
1936年4月、合計12の竜巻が米国南西部を襲い、全米で2番目に死者数の多い竜巻発生となりました。この発生した竜巻の中で、深刻さの点で際立っているのが2つの竜巻です。ゲインズビル竜巻はそのうちの1つです。
4月6日、ジョージア州ゲインズビル市付近で、2つの別々の竜巻が合体しました。ほんの数分のうちに、ゲインズビルのダウンタウン全体が破壊され、この災難で約203人が死亡したと報告されています。
また、ゲインズビルは、記録史上F4強度の竜巻に2度見舞われた唯一の小都市です(最初の竜巻は1903年に発生)。
8. トゥーペロ竜巻
強度:F5
死者総数:216人
被害額:300万ドル
トゥーペロ竜巻は、1936年4月5〜6日に発生したトゥーペロ・ゲインズビル竜巻発生の一部でした。ゲインズビルでの出来事の前日である5日には、ミシシッピ州トゥーペロ市をはるかに破壊的な巨大竜巻が襲っていたのです。
この竜巻は、約48の街区と200〜900軒の家屋を含む市内の住宅地の大部分を完全に消し去りました。少なくとも12棟の大邸宅も大破しました。その日救助された人々の中には、後に世界最高のミュージシャンとなる1歳の男の子とその母親がいました。男の子の名はエルヴィス・プレスリーです。
7. セントルイス・イーストセントルイス竜巻
セントルイス・イーストセントルイス竜巻の直後
画像出典:アメリカ海洋大気庁
最大強度:F5
死者総数:250人以上
セントルイス・イーストセントルイス竜巻は、1896年5月に発生した竜巻発生の一部であり、米国中南部の広い地域に影響を与えました。世界で最も激しく破壊的な竜巻のひとつです。
この竜巻による被害総額は1,000万ドル(2001年換算で22億ドル)。少なくとも250人が死亡し、数千人が家を失いました。
6. ナチェズ大竜巻
死者:317人
被害額:120万ドル
1840年5月7日、ナチェズ大竜巻がミシシッピ州南部を大混乱に陥れました。この竜巻はナチェズ市上空で発生した後、ミシシッピ川に沿って移動し、樹木や住居から蒸気船まで、あらゆるものを壊滅させました。米国史上2番目に死者の多い竜巻として語り継がれています。
強力な突風がこの地域に存在したすべての中小船を消滅させたため、陸上よりも川上で亡くなった人の方が多かったのです。合計で300人以上が死亡し、数百人が重傷を負いました。奴隷の死は必ずしも公式記録に含まれていなかったため、その数はもっと多い可能性が高いでしょう。
5. 1984年ソビエト連邦での竜巻発生
強度:F5
死者:400人
1984年6月9日、イヴァノヴォ竜巻発生とも呼ばれるソ連の竜巻発生がモスクワ北部を襲いました。合計11の竜巻が確認され、そのうち少なくとも3つは強度F3以上でした。
その中で最も破壊的なもの(強度F5)がイヴァノヴォ市で発生し、それだけで90人以上の命を奪ったのです。この竜巻による死者はロシアで最も多く、ヨーロッパ史上3番目に多いものでした。
4. シチリア竜巻
死者総数:500人
竜巻、特に強力な竜巻は、イタリアでは一般的ではありません。イタリアの歴史上(ヨーロッパ大陸の歴史上でも)最も死者が多かった竜巻は、おそらく1851年のシチリア竜巻でしょう。
シチリア竜巻は、おそらく1851年12月にシチリア(イタリア)西部を襲った2つの竜巻です。この竜巻はマルサラとカステランマーレの町を破壊し、500人以上の死者を出したのです。
3. グランドハーバー竜巻
死者総数:少なくとも600人
1551年9月23日、マルタのグランドハーバー(イタリアの南に位置)は、壊滅的な竜巻性ウォータースパウト【水面上に発生する円柱状の強い渦】に襲われました。ウォータースパウトは基本的に大きな水域で発生する竜巻です。陸上の竜巻が水上に移動することもあります。
1551年のグランドハーバー竜巻の強度はT7(TORROスケール)と推定されています。この竜巻の唯一最大の原因は、マルタ海軍の艦船数隻が全壊したことでした。合計で約600人が死亡しました。
2. 三州竜巻
三州竜巻の直後。廃墟となったインディアナ州グリフィンの町。
強度:F5
死者総数:約700人
三州竜巻は、米国史上最も経路が長く、最も死者数の多い竜巻でした。1925年3月18日、最初にミズーリ州のムーア上空に小さな漏斗状の雲として現れました。
イリノイ州南部に入る頃には、竜巻は巨大な螺旋状の渦へと変貌を遂げ、その進路に立ちはだかるすべてのものを消し去りました。消滅する前に、インディアナ州南部のいくつかの町もなぎ倒しました。
三州竜巻による被害総額は、約14億ドル(1997年換算)と推定されています。3つの州全体で約15,000戸の家屋、9つの学校、工場が破壊されました。
1. ダウラトプル・サトゥリア竜巻
強度:F3
死者総数:1300人
おそらく史上最悪の竜巻は1989年4月26日、バングラデシュのマニクガンジ地区で発生したものです。この南アジアの国は、定期的に壊滅的な竜巻に見舞われる数少ない国のひとつです。
ダウラトプル・サトゥリア竜巻の渦は幅1キロ以上、ダッカ地方まで80キロも移動しました。この竜巻の公式な藤田スケール階級はF3ですが、推定最大風速は時速418kmで、F4の竜巻に相当します。
この暴風雨は20以上の村といくつかの大きな町を一掃しました。インフラや災害対策が不十分だったため、約8万人が家を失い、死者は1,300人と推定されています。