中世ヨーロッパでは、近代的な刑務所制度や成文化された刑法が整う前の時代、車裂きやラック(伸張台)、皮剥ぎといった身体への拷問・刑罰が、自白の強要や見せしめのために用いられていたと伝えられています。罪を犯した者は独房に収監される代わりに、公衆の面前で処罰を受けることが多く、刑罰には「共同体への警告」という役割が強く期待されていました。
この記事では、中世を中心に伝えられてきた拷問・刑罰の方法を12種類、歴史解説の視点から紹介します。なお、「鉄の処女」や「苦悩の梨」のように、近年の研究では中世に使用された証拠が確認されておらず、18〜19世紀以降に展示目的で作られた可能性が高いと指摘されている器具も含まれます。こうした実在性をめぐる議論については、記事末尾のFAQで補足しています。
まずは、本記事で取り上げる12の拷問・刑罰の早見表です。
| 名称 | 主な目的 | 実在性・補足 |
|---|---|---|
| 苦悩の梨 | 拷問(補助的) | 中世の使用を疑う研究あり |
| 鉄の椅子 | 自白の強要・見せしめ | 各地の博物館に現存 |
| 目潰し | 刑罰・報復 | 古代から記録あり |
| 磔(はりつけ) | 処刑・見せしめ | 古代から広く記録 |
| 片手のこぎり | 処刑 | ヨーロッパ・アジアで記録 |
| ラック | 拷問・尋問 | 裁判記録などに使用例 |
| 車裂きの刑 | 公開処刑 | 中世ヨーロッパで広く使用 |
| 万力(つまみねじ等) | 拷問・尋問 | 17世紀の現物が現存 |
| 鉄の処女 | 処刑器具とされる | 後世の創作とする説が有力 |
| ネズミ拷問 | 拷問 | 近現代にも報告あり |
| 皮剥ぎ | 刑罰・処刑 | 古代アッシリアから記録 |
| ユダの揺りかご | 拷問 | 伝承が中心 |
読み進める前に、以下の画像や表現の一部が刺激の強い内容を含むことをお断りしておきます。歴史的背景を知るための資料としてご覧ください。
12. 苦悩の梨

ポーランドのLubuska Land博物館に所蔵の「苦悩の梨」
画像出典:Jan Mehlich/CC ShareAlike 2.5
苦悩の梨は、別名チョーク梨とも呼ばれ、冒涜の罪を犯した犯罪者を拷問するために使われた昔の器具です。この器具は、約4枚(時には3枚)の金属の葉と、上部のねじ機構を備えており、犯罪者の身体の多くの入り口のひとつに押し込まれます。
中に入れると、拷問者はゆっくりとネジを回して金属の葉を開き、痛みや怪我を負わせます。苦悩の梨は、二次的な拷問方法として使われた可能性が高いようです。
11. 鉄の椅子

アムステルダム拷問博物館に所蔵の「鉄の椅子」
画像出典:Sandeep Singh Thukral
鉄の椅子は、中世ヨーロッパではかなりポピュラーな拷問器具でした。その特徴は、時代によって様々ですが、多くの場合、犯罪者は鉄の椅子に座らされ、燃え盛る炎の真上に置かれた真鍮の板の上で、生きたままゆっくりと焼かれました。
また、座面や肘掛、脚立に何百本もの小さなトゲの付いた鉄の椅子もあります。このトゲは内臓を貫通することはなかったものの、感染症や出血多量で死亡するのが普通でした。
鉄の椅子は、もちろん痛みを伴いましたが、肉体的な効果よりも心理的な効果の方が大きかったのです。拷問者は、犯罪者が拷問されているところを他の犯罪者に目撃させ、自白を促すことが多かったようです。
10. 目潰し
目潰しは、古代から刑罰や拷問の一形態として知られています。指や、先の尖った器具で強制的に目を押さえることで実行されることがあります。また、熱した金属板を目の上に置いて目潰しをする「Abacination」も、この方法のひとつです。
2009年、イランでは、アシッドアタック【硫酸・塩酸・硝酸など劇物としての酸を顔や頭部などにかけて火傷を負わせ、損壊させる】を受けた受刑者の目を医学的に除去するという、史上初の(現代における)報復裁判が行われました。
興味深い事実:18世紀から19世紀にかけて、アメリカ南部の農村部では、目潰しなどの陰惨な行為がスポーツの伝統の一部となっていたそうです。
9. 磔(はりつけ)
「磔」は、犯罪者を大きな木製のブロックに釘付けにして、首を吊ったまま死に至らしめる拷問方法として古くから用いられてきました。多くの場合、磔にすることで、後世の加害者に最後通牒を突きつけることになります。
死刑を執行するための木製のブロックは、ギベット【絞首刑のさらし台】と呼ばれ、様々な形があります。ある時期には、ただの木の杭(クルクス・シンプレクス)で作られていたこともあります。また、犯罪者が串刺しや、頭を下にした逆位磔にされたりした例も、わずかながらあったようです。
考古学的に最も古い磔の証拠は、1968年にエルサレムにあるイスラエルの小さな集落で発見されました。
8. 片手のこぎり

スペイン異端審問時代の拷問用のこぎり
画像出典:Jerónimo Roure Pérez
中世のヨーロッパとアジアの多くの国々では、のこぎりによる死はかなり一般的な光景でした。この処刑方法では、犠牲者は縦または横の半分に切り裂かれました。このような処刑は、しばしば一般市民が自らの意思で、あるいは強制的に目撃することがありました。
1700年代半ばのアメリカ大陸では、のこぎりによる処刑が複数記録されています。
7. ラック
ラック【体を横たえさせ、手足を巻き上げ機で引き延ばすもの】は、中世のヨーロッパとアジアの一部で使用された拷問・尋問器具です。その目的は単純で、犯罪者の身体のあらゆる関節をゆっくりと伸ばし、ほとんど耐えられないほどの痛みを与えることでした。
木枠の両端にあるローラーに、容疑者や犯罪者の手首と足首を鎖でつなぎます。その後、ローラーに取り付けられたラチェット機構によって鎖がゆっくりと引き込まれ、関節が伸び、骨折することさえありました。
このような拷問は、18世紀にロシアで行われたのが最後とされています。
6. 車裂きの刑
車裂きの刑(別名、処刑輪)は、大きな荷馬車の車輪に放射状の棒を付けたようなもので、小さな改良が加えられることもありました。犯罪者はまず車輪に縛られ、鉄の棍棒で全身の手足が折れるまで殴られます。恐ろしいことに、犯罪者は4日間も意識があるまま、最終的に死に至ったとする証言もあります。
フランス発祥の可能性が高く、中世ヨーロッパで公開処刑の際に広く用いられました。
5. 万力
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ベルリンの博物館に展示されている17世紀のつまみねじ
「万力」には、激しい拷問や尋問を行うために作られた様々な道具が組み込まれています。
そのひとつが、悪名高い「ひざ分裂器」です。2つの木製のブロックに、それぞれ数本のトゲが突き刺さっているのが特徴です。これを挟むと膝の靭帯に深刻なダメージを与えることができますが、致命傷には至りませんでした。
もうひとつの恐ろしい万力は、「頭蓋骨粉砕」です。その名の通り、人間の頭蓋骨を2本の金属の棒に挟んで、ネジで潰すためのものです。指や足の指に対しても同じようなものがあります。
4. 鉄の処女

中世に作られた拷問器具の中で、最も耐え難いもののひとつと言われる「鉄の処女」は、その評判に違わぬものでした。典型的な鉄の処女のデザインは、石棺に似ています。初期のモデルは、突出したトゲの代わりに穴が開いており、長い槍を手動で中に押し込むことができました。
犯罪者は痛ましい刺し傷だけでなく、閉所恐怖症にも悩まされました。臓器に刺さると即死してしまうので、臓器に刺さらないように注意も必要でした。
最も有名な鉄の処女は、ニュルンベルクのもので、ニュルンベルクの処女とも呼ばれています。1802年に初めて公に展示されました。
3. ネズミ拷問
ネズミ拷問は、その名の通り残酷なものです。ネズミ拷問のバリエーションは数多く存在しますが、最も一般的な方法は、一匹のネズミ(時には複数)を犯罪者の腸の部分に無理矢理押し込むことです。
犯罪者は両足と両手を縛られた状態で裸にされ、平らな場所に置かれます。そして、ゆっくりと加熱される底のない檻の中で腹にネズミを乗せられます。ネズミは、熱から逃れるため、積極的に噛みつき、体内に穴を掘り始めるのです。
現代では、チリ(1973~1990年)やアルゼンチン(1976~1983年)といった南米諸国から、ネズミを使った拷問の報告が浮上しています。
2. 皮剥ぎ
皮剥ぎは、対象者の身体から皮を剥ぐ拷問方法です。人間の皮を剥ぐことは、西暦紀元やキリスト教の時代以前からよく知られていました。最も古い皮剥ぎは、新アッシリア帝国(紀元前883〜859年)にまでさかのぼると言われています。中世ヨーロッパでは、反逆者はしばしば生きたまま公衆の面前で、激しく鞭打たれたり、皮を剥がれたりしたのです。
イギリスのエセックスにある12世紀の教会の扉から、拷問で剥がされた人皮の残骸が発見されたことがあります。皮剥ぎは、ショック、低体温、体液の喪失を引き起こし、最終的に死に至ります。
1. ユダの揺りかご
ユダの揺りかごは、ユダの椅子とも呼ばれ、ピラミッド型の木製の構造物または「椅子」で、犯罪者の会陰部に押し込まれたものです。
犯罪者たちは、ロープによって木製の構造物の上に降ろされます。拷問は、人体で最も敏感な部分の一つである会陰部を、重力に任せてゆっくりと伸ばすものでした。また、錘[おもり]を追加して、より悪い方向にスピードアップさせることもありました。
スペイン馬と呼ばれる別の拷問器具も、同じコンセプトに基づいています。
中世の拷問・刑罰に関するよくある質問
Q. 紹介されている拷問器具は、すべて中世に実在したのですか?
必ずしもそうとは言えません。たとえば「鉄の処女」は、18世紀末以降の文献に初めて登場したもので、現存する器具も19世紀に組み立てられ、博物館で「中世の拷問器具」として展示された可能性が高いと研究者は指摘しています。「苦悩の梨」についても、中世当時の使用を裏付ける史料は確認されておらず、後世の創作・展示用の器具と考える見解が有力になりつつあります。一方で、ラック(伸張台)や車裂きの刑、つまみねじなどは、裁判記録や同時代の文献から実際に使用されていたことが確認されています。
Q. なぜ中世では残酷な刑罰が公開で行われたのですか?
近代的な警察制度や刑務所制度が存在しなかった時代、刑罰には「見せしめによる犯罪の抑止」という役割が強く求められていたためです。公開処刑は共同体全体への警告であると同時に、権力者が自らの力を示す場でもありました。本文で紹介した鉄の椅子のように、他の容疑者に拷問の様子を目撃させて自白を促す、心理的な効果を狙った使い方も記録されています。
Q. このような拷問や刑罰はいつ頃なくなったのですか?
18世紀に啓蒙思想が広がるとともに、ヨーロッパ各国で拷問の法的な廃止が進みました。ベッカリーアの『犯罪と刑罰』(1764年)が転機のひとつとされ、19世紀にかけて身体刑から懲役・禁固といった自由刑への移行が進んでいきます。ただし本文でも触れたとおり、20世紀以降も世界各地で拷問の報告は存在しており、完全に過去のものになったとは言い切れないのが実情です。
まとめ:中世の刑罰史から見えてくるもの
中世の拷問・刑罰は、現代の感覚からすると目を覆いたくなるものばかりですが、その背景には「刑務所も警察もない社会で、どうやって秩序を保つか」という当時なりの論理がありました。また、鉄の処女や苦悩の梨のように、後世の人々が「暗黒の中世」というイメージを膨らませる中で作り上げられた可能性の高い器具も含まれており、伝承と史実を切り分けて見ることが大切です。
残酷な刑罰の歴史を知ることは、拷問の禁止や適正な裁判手続きといった、現代の人権や刑事司法の仕組みがどれほど大きな到達点であるかを考えるきっかけにもなります。歴史資料として、冷静な視点で振り返ってみてください。







